
2011年10月22日(土)
太宰治に「津軽」という作品がある(https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2282_15074.html)。
生れ故郷である津軽地方を太宰が旅して書いた旅行記であるが、この作品のクライマックスである乳母「たけ」との再会の場面などにはかなりフィクショナルな部分があることから、これを旅行記ではなく小説作品に分類している批評家もいる(太宰治自身も「十五年間」などにおいてこれを「旅行記みたいな長編小説」と言っている)。また、新潮文庫版の解説を記している亀井勝一郎などは、太宰の全作品から一篇を取るならばこの「津軽」だとまで書いており、他にもこれを太宰の最高傑作だとする人が少くない。
正直言って、私自身は初読の時からこの作品の真価がよく分らず、今回再読してみても、長々と引用文が続く箇所などは飛ばし読みをしてしまったし、乳母との再会の描写にはホロッとさせられはしたものの、やはりさほど優れた作品だとは思えぬまま巻を擱くしかなかった。
もとより私は太宰治の良い読者ではないのだが、「駈込み訴え」や「親友交歓」、「トカトントン」、「畜犬談」といった短篇や最晩年の激烈な罵倒の書「如是我聞」などはかねてより愛読してきた。誰が言い出したのか知らないが、太宰の文学は麻疹(はしか)のようなもので、それまで熱に浮されたように愛読していた人間も、思春期を過ぎれば急激にその狂熱から醒めてしまうと言われるが、私自身はそこまで夢中になったこともなければ、青春の文学だとして彼の作品を切り棄ててしまう気もない。
愛人との心中という壮絶な最期をとげたことから、その文学も暗く陰鬱なものだと思われがちだが、実際には絶妙なユーモア感覚を兼ね備えた優れた日本語の書き手だったことは間違いない。新潮文庫に入っている太宰作品の解説を多く手がけた批評家の奥野健男のように、太宰をドストエフスキーにも比肩しうる作家だとまでは到底思わないものの、太宰が死んだ年をとうに過ぎた年齢になっても、上に挙げたような作品が太宰にしか書けない優れた文学作品であるという考えは変らない。

五所川原市金木町にある太宰の生家。現在は「斜陽館」として一般公開されている
むろん、太宰という人間の生き方そのものについては、また別の考えがある。芸術作品に対する評価と、それを造り出した人間への人間的評価とは、切り離されて考えられるべきものである。
ユーモアという点では、「津軽」にも太宰のお茶目な面を見てとることが出来る。
「こんど津軽へ出掛けるに当つて、心にきめた事が一つあつた。それは、食ひ物に淡泊なれ、といふ事であつた。私は別に聖者でもなし、こんな事を言ふのは甚だてれくさいのであるが、東京の人は、どうも食ひ物をほしがりすぎる。私は自身古くさい人間のせゐか、武士は食はねど高楊枝などといふ、ちよつとやけくそにも似たあの馬鹿々々しい痩せ我慢の姿を滑稽に思ひながらも愛してゐるのである。何もことさらに楊枝まで使つてみせなくてもよささうに思はれるのだが、そこが男の意地である。男の意地といふものは、とかく滑稽な形であらはれがちのものである。(中略)私は津軽へ、食べものをあさりに来たのではない。姿こそ、むらさき色の乞食にも似てゐるが、私は真理と愛情の乞食だ、白米の乞食ではない!」
こうした文章を読んで、私はまさに自分の考えを代弁してくれているようですっかり嬉しくなったのであるが(何度も書くが、そしてこうした言い方は性差別であるやも知れぬものの、私の目には、食べ物にあれこれとうるさい男は、非常に見っともなく思えてならないのである。男子一生の仕事、などという大それた言葉を持ち出す気はさらさらないが、この短い一生、食欲や性欲といった動物的本能の奴隷となるのではなく、他にすべきことはいくらでもあるだろうと言いたくなるのだ)、そのすぐ後で太宰はしれっとこんなことを書くのだ。
「私がこんど津軽を行脚するに当つて、N君のところへも立寄つてごやくかいになりたく、前もつてN君に手紙を差し上げたが、その手紙にも、『なんにも、おかまひ下さるな。あなたは、知らん振りをしてゐて下さい。お出迎へなどは、決して、しないで下さい。でも、リンゴ酒と、それから蟹だけは。』といふやうな事を書いてやつた筈で、食べものには淡泊なれ、といふ私の自戒も、蟹だけには除外例を認めてゐたわけである。私は蟹が好きなのである。どうしてだか好きなのである。蟹、蝦、しやこ、何の養分にもならないやうな食べものばかり好きなのである。それから好むものは、酒である。飲食に於いては何の関心も無かつた筈の、愛情と真理の使徒も、話ここに到つて、はしなくも生来の貪婪性の一端を暴露しちやつた。」
最後の「暴露しちやつた」などという物言いは、太宰独特の含羞(はじらい)を実にユーモラスに表現していると言えるだろう。

「津軽」を再読する気になったのは、たまたま手に取ったつげ義春の漫画「リアリズムの宿」に、太宰も訪れた「鰺ヶ沢」(あじがさわ)という、うらぶれた漁港の町が出てきたからである。
漫画を描くための取材旅行でこの町を訪れたつげ義春(をモデルにしたと思われる登場人物)は、「商人宿」(安価な民宿のようなものだろうか)を漫画の題材にしようと思いたって、町のラーメン屋で紹介された一軒の宿に飛び込みで入ってみる。しかしたまたま選んだ宿が想像していた以上に「リアリズム過ぎ」るのにがっかりし、散歩に出るという口実で何とか逃げ出そうと試みる。
しかしそんな宿であるから客など滅多に来ないに違いなく、みすぼらしい風采の女主人は逃がしてはなるまいと「サンビス(サービス)しますから」と言って必死に主人公を引き留める。結局靴を「人質」にとられてしまい、下駄で外に出て寒風の吹きすさむその町を仕方なく散策していると、主人公が目指していた商人宿は別の場所で、しかも先程入ってしまった宿よりもずっと清潔でサービスも行き届いているようだった。後悔先に立たずである。
散歩から戻って出てきた食事は非常に粗末なもので、こうなればお湯でも浴びて寝てしまうしかないと向かった風呂場は、その家の人間たちが既に使った後でドロドロに汚れている。頭に来た主人公は抗議の意味もこめて風呂にはあえて入らず、そのまま蒲団をかぶって眠ろうとするのだが、安普請の家なので、宿の男の子が芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を朗読する声が聴えてくる。「国語の学習をしているらしいが学校での成績を疑いたくなるようなタドタドしい朗読のしかたであった」という言葉で、この作品はふいに終る(ちくま文庫版「つげ義春コレクション 紅い花/やなぎ屋主人」より)。
この漫画に描かれた寒々とした東北の冬景色と、決して自分では泊りたくないようなわびしく不潔な旅館の雰囲気からは、確かに作者が「リアリズム(生活の臭い)」と記す、わびしい臭いが漂って来て、なぜか私はそうした宿を求めて自分も旅に出たいという気になったのだった。それで同じ東北地方を旅した太宰の著書を、久しぶりに読んでみようという気になったという訳である。たまたま今の仕事の上司が、青森の出身だということもある。
つげ義春の旅が、見知らぬ土地のひなびた温泉や旅館を訪ねていくのに対して、太宰の旅は自らの出自(ルーツ)を辿る旅であり、おのずとその性格は異なる。旧友や兄弟を訪ね、地方の素封家であった彼の実家に仕えていた使用人と言葉を交わし、最後は親の代りに自分を育ててくれた乳母たけと何十年ぶりかで再会するその旅は、私がしばらく想像をゆだねてみたいと思うような「ここではないどこか」への旅ではむろんない。
それまで太宰は津軽地方をじっくりと歩いてまわったことがなかったとは言え、それは一般的な意味での「旅」ではなく、生れ故郷への「帰省」であり、自身の過去への時間旅行である。すなわち、それは見知らぬ場所への移動ではなく、かつて見知った場所への回帰であり、そこにあるのは旅情ではなく、自己を語るときに太宰が見せる「含羞」である。だからこの「津軽」は、その恥じらいを懸命に振り払おうととするようなこんな言葉で終るのだ。
「まだまだ書きたい事が、あれこれとあつたのだが、津軽の生きてゐる雰囲気は、以上でだいたい語り尽したやうにも思はれる。私は虚飾を行はなかつた。読者をだましはしなかつた。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行かう。絶望するな。では、失敬。」


太宰の故郷青森では「津軽」初版本を再現した箱に入ったお菓子が売られているそうである。


