わたしの自分史から読み取る、自分軸完成の過程です。
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フランスで自立の道へ〜フリーランスの仕事、趣味
ここで少し、仕事の話も書いておきますね。
わたしはTwitterを2009年に始めて、
始めたのは早かったと思いますが、
その時はまだ結婚していて
同じパリに住む日本人や、
ヨーロッパに住む日本人の女子と情報交換や
他愛ないチャットのツールとして
主にツイートしてました。
2011年の東日本大震災後、
わたしはスピリチュアルの世界に
傾倒するようになってきて、
だんだんと、それまでパリでつき合っていた友だちたちと
反りが合わなくなってきました。
自分が変わったのでそれまでの人間関係が、
なんかしっくりこなくなったんですね。
離婚後に知り合って
同棲していた彼との生活を、
Twitterで呟きはじめました。
大震災で、日本中が大変だった時、
自分は日本国内にいず、
遠く離れたところから
日本を見ていることにもどかしい気持ち、
日本のために、
「何かしたい」という気持ちが大きかった。
フランスの他愛ない日常、そこに、
「少しでも、日本にいる日本人が癒されますように」
そういう思いと、
日本にいる母国の人が、
全く違うフランス人の性質を知ったり、
日本では常識枠外だけど、フランスでは
普通のこと、
日本国内に住んでいる人たちの固定観念を
「それが、普通でもないんだよ。
こんな国、こんな人もいるんだよ」
というのを、伝えたかった。
そうして、少しでも、日本人が
ラクになるように、願っていました。
Twitterでは、優しい彼のことを
「羊くん」と呼んで、呟くと
たくさんの方が絡んでくださり、
「おもしろい!」と言ってくれたり、
「フランスに行くので、ぜひ羊くんと
いっしょに会えませんか?」
と声をかけられることが増えたり
また、何人かの編集者さんからお声がかかり
パリのグルメのガイドブックをいっしょに出しませんか?等
オファーをいただいたりしました。
離婚前後に、
一度勤めたパリの日系企業は、
フランスから日本への雑貨・香水や
化粧品などの輸出を
BtoCで行っていた会社で、
そこで得た経験をもとに、
今度は自分でネットショップを起ち上げて
フランス・バスク地方の伝統的な
織物である雑貨やインテリア商品を、
日本向けに輸出を始めました。
東日本大震災後は、パリでも
日本の故郷でも同窓会が行われたり、
またFaceBookが流行るなど
みんなが繋がっていった時期。
わたしのネットショップの雑貨は、
日本に住む学生時代の同級生が、
そのお客さんのほとんどでした。
商売、というのをしたことがなかったので、
また、宣伝というものも、どうやっていいかわからず、
この雑貨のネットショップは、
再び対円に対してユーロが値上がり
フランスの小型小包法が改正されて、
小さい郵送物の送料が大変上がってしまったことにより、
このビジネスは、売り上げを出すのがきつくなってしまいました。
また、震災の翌々年の2013年、
高校の同級生で、同郷でカメラマンを
やっている友だちが、
現地、福島で震災や復興の写真を撮り、
パリの日本文化会館でその展示会・
写真展を行うことに。
企業の支援があり成り立った写真展で、
そのカメラマンの写真家の友だち自体は
ボランティアで、当時は無給。
通訳がいなかったので、
わたしもボランティアで、自ら、
毎日日本文化会館に通い、
その友だち運営側と、来るフランス人の
お客さんの通訳をしました。
それも、震災を受けた日本のために
そして、その写真を現地で撮って、
フランスに見せてくれた友だちのために、
少しでも何かしたい、という思いでした。
その後、
この写真展の活動などをFaceBookで
見ていた、別の同級生から、
パリで開かれる大規模なインテリアの展示会に
行くから、と、その展示会への付き添い、
通訳・コーディネーターの仕事を依頼されたり、
また、雑貨のネットショップを運営していたことにより、
別の知り合いから、
買い付けの仕事を頼まれたり、
この時期は、SNSに自分の活動を
発信していることで、
次の仕事、新しい職種、などが
あちら側から舞いこんでくる、
ジム通いをするようになり、
パリでダンスすることに夢中になりました。
ズンバやストリートダンス。
フランス人は踊りがうまく、
セクシーな感じの人が多いので、
まさに本場!という感じでどハマりしました。
毎日毎日、ダンスをして体を動かす日々を送って。
彼“羊くん”とは、
いっしょに住んでいましたが、
わたし自身が心許なくてさみしい、
という状態からのスタートだったので、
自分自身が、徐々に元気になり、
自立していくにつれ、
いっしょにいることがしっくりこなく
ジムに通いながら、
そこでダンス仲間のフランス人の
女の子たちと女子会をしたり、
また、フランスは同性愛者が多いのですが、
ジムにはとても多く、
ゲイのインストラクターと友だちになったり、
日本から来ている日本人のゲイの男の子と
仲良くなったり
自分のまだ知らない人種、
考え方の人たちを知ることで
わたしの「自分の中の常識を打ち破りたい」
興味のある方向は、自然とそちらの道に
なっていったように思います。
わたしは、表面では、
愛する旦那さんと、結婚して子どもを
作って、という普通の幸せを
願っていたつもりでしたが、
自分を振り返ってみると、
わたしの、きっと使命につながる
色んな人と交わって、
びっくりするような体験をして
こんな考えが、こんな世界があるんだ、
ということを知ること
それが、根底にあったのだ、と。
そのころは、自分では無自覚でしたが。
恋愛に求めるものは
人それぞれだと思いますが、
わたしにとってそれが、恋愛というものの、
裏に隠された意味だったと
それに気づいたのは、
そこから10年近く経った最近のことです。
続きはまた次回書きますね。
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