わたしの自分史から、自分軸へと変化した過程を書いてます。
ご参考になったら嬉しいです☆
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半年ほどアムステルダムに住んだあと、
パリに戻ってきて、
わたしたちはサンジェルマンアンレーという
治安のいいパリ郊外に引っ越しをしました。
わたしはそこで、兼ねてから
やってみたかったフリーライターの仕事をすることに。
ブログというものが急上昇で
世に広まっていった時で、
ホームページを持たなくても
簡単に自分のサイトが持てる!
ということで、
わたしはすでにパリのエッセイや、
自分の東京での
外国人との恋愛のストーリーを
ブログに書いたりしていたんですね。
それがなかなか好評だったのもあり、
またわたしは、
物心ついた時から、鉛筆を持ち、
紙に何か書いていた、
という子供だったようで、
小学生の時に書いた詩が、
市で表彰されたことがあったり
とにかく書くことは、
自分の人生の一部のようなものだったので
自信というよりも、
文章を書くということに対しての不安はなかったんですよね。
実は、
ブログで恋愛ストーリーを書いていた時、
ある日、突然アクセス数が桁違いに上がり、
どうしたんだろう?と思って
訪問者のリンク先を辿ってみると
2ちゃんねるの掲示板で
わたしの記事の内容について、
ひどい中傷が書かれていました。
あばずれ、とか、パリのマダムについて
当時、パリ在住だった中山美穂のことも
挙げられており、
「自分が書いた文章が、
あることないこと勝手に書かれ、
こんなにひどいことを言われて
攻撃されることがあるんだ」
と大きなショックを受けました。
それを見て、続きが書けなくなり、
自分のブログから
そのストーリーを非公開にし、
別ブログで鍵アカにして出しました。
今思えば、
その恋愛ストーリーは、
そのように批判はされましたが、
おもしろい!続きが気になる!と
読んでくれる読者の方がいて、
確かに反響を呼んでいた。
でも、全ての人が、いいと思うものなど
ありません。
反対の中傷がくるということは、
それだけ注目を集めている、ということ。
反対からくる向かい風は、
さらに自分が遠くに前進するための
追い風だったのです。
それに、耐えうる精神がなければ、
そこで挫折してしまいます。
それに気づいたのは、
ずぅっと後のことでした。
わたしはその後、ブログで
当たり障りのないことを書くようになり
今思えば、その分
おもしろみが減ったり、
わたし自身の個性も
十分表現されなかったのではないか、
と思います。
ライターとして、職業で文章を書く、
ということを始めたのは、その翌年でした。
今はもうなくなってしまったのですが、
日本海外ライターズ協会、のような
非営利の団体があったんです。
そこに応募すると資格を認められ、
ウェブサイトの海外ライターの一覧に
わたしの名前が掲載され、
そこを見た会社から仕事がきたり、
またわたしのブログを読んだ編集社や
雑誌社の方から連絡がきて、
記事を書いたりしました。
ラジオ番組でパリ生活について語る、
という仕事などもありました。
日本では、会社に勤めており、
やりたいと思っていても
縁のなかった仕事、
ヨーロッパに住む、という
願望もそうですが、
自分のやりたい、と思ったことは、
その時、すぐにではなくても
自然と、自分がそれが叶う方向に進んでいて
ある時、それが手の中に
入ってくることがある。
新卒で入った会社の会長の本に
書かれていた、
『夢は実現する』
という言葉は本当だった、と
この頃のわたしは、
それを体現して、
それが自然と信じられるようになっていた、
と思います。
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