ダンが家を出て行ったあとの私はといえば、
悲しみ→怒り→諦め→立ち直り→悲しみ→怒り、、、、
の、お決まりルーティンを、繰り返し繰り返し体験していました。

もう大丈夫と思っても、翌日にはまた落ち込み、、、その繰り返しに
ほとほと疲れ果て、
今度は異常なほど、ねむくなり、、、ぐぅぐぅぐぅぐぅ

なんか結局、心の病って、どこからかわからないですよね。
自分のメンタルが弱っている事は
認めたくない自分がいて、
でもあの時は確かにおかしかったのかもなあ。。
ダウン

でもまだまだそのときは、
ほんとに離婚するのだという事実は、
受け入れられていない私なのでした。

ひたすら自分との戦いの日々。波

私には子供はいません
だから、離婚も簡単にできるねって
言われるときがあります。

それは、たしかにそうなのかも。
巻き込んじゃう人は、少ない方がいい。
でもねー、たまに思うんだけど,
もし子供がいたら、ここまで孤独じゃなかったんじゃないかな。

まあ、こればっかりは、子供のいない私にはわからないことですが。

まだまだ、産めない年にはなってないし、いつか絶対、好きな人との子供がほしい!

再婚は、まだあまり、現実的には考えられないけど、やっぱいつかは、
人並みの家族と、人並みの暖かい食卓ってのを、手にいれたいとおもうわけです。ナイフとフォーク


私は、不倫は嫌いです。プンプン
自分がされて、傷つき、
余計に嫌いになりました。

でも、虚しさの中で、ふと思うときがあります。
ここは、結局、競争社会なのだと。

全ての人が、自分の幸せと、
自分のまわりの幸せを祈って生きている以上、そこには競争がうまれてしまう。
それは抗えない事実なのだと。

そんな中、こんな詩に出会い、
感動したので、のせてみます。
茨木のり子さんの詩です。


もっと強く

もっと強く願っていいのだ
わたしたちは 明石の鯛が食べたいと

もっと強く願っていいのだ
わたしたちは 幾種類ものジャムが
いつも食卓にあるようにと

もっと強く願っていいのだ
わたしたちは 朝日の射す明るい
台所がほしいと

すりきれた靴は あっさりと捨て
キュッと鳴る新しい靴の感触を
もっとしばし味わいたいと

秋 旅に出たひとがあれば
ウィンクで 送ってやればいいのだ

なぜだろう
萎縮することが生活なのだと
思い込んでしまった村と町
家々のひさしは 上目づかいのまぶた

おーい 小さな時計屋さん
猫背を伸ばし あなたは叫んでいいのだ
今年もついに 土用の鰻と会わなかったと

おーい 小さな釣り道具屋さん
あなたは叫んでいいのだ
俺はまだ 伊勢の海も見ていないと

女が欲しければ奪うのもいいのだ
男が欲しければ奪うのもいいのだ

ああ わたしたちが
もっともっと貪欲にならないかぎり
なにごとも始まりはしないのだ

茨木のり子さん [もっと強く]より

いい詩です。
毎日の仕事、家のローン、妻として、主婦として、こうしなきゃ!ああしなきゃ!というがんじがらめの気持の中で、萎縮することが、生活なのだと感じていたことは否めません。しょぼん

、、、でもやっぱ、不倫は嫌いですショック!