今日は、畑のことしようかな、と思ってたのに

外に出た途端、草刈り機をかけ残していたところが

あったことを思い出す。

おもむろに草刈り機を持ち出し、家の外周をくるりと

回り始める。

だんだん、まるで掃除機をかけているかのような

気分になってくる。

 

ふと、裏庭の山椒や南天の根元がもっさりしてるのが

気になり始める。

そうそう、草刈り機だけでやめてると、

根本が草ぼーぼーになってくるのよね。

鎌に持ち替えて、草とともに木についてもすっきりさせる。

 

最初は、せっかく生えてきた枝とか葉っぱとか

むやみに切るのがかわいそうなのと、

自分が切ってしくじってしまったらという怖さとで

なかなか木を切ることができなかった。

 

けれど。

木、っていくらでも伸びるのよね。怖いくらいに。

近所のおっちゃんが「(切るの失敗したとしても)すぐ伸びるよ」と

おっしゃっていた意味が今ではよくわかる。

分からないなりに、適当に切り始めて丸1年。

だんだん、「ここ混んでるよな~」とか何となく

雰囲気がわかる気がしてきた。

となると、俄然、剪定が面白くなる。

 

裏庭が少しすっきりしたのを見て、

この剪定魂に火がついて、

そのまま表の庭の剪定に…。

ツツジやサツキの花が終わったので、

ちょっとサイズダウンしてもらう。

 

ユウガオの種まいたり、

カスミソウ植え替えたりしたかったんやけどなぁ。

ま、いいか。

 

日が暮れてからは、

今日最後に刈ったフキのあく抜き作業と

昨日からあく抜きしてたワラビを

鶏肉とスナップエンドウとで甘辛く炊いて晩ごはん。

 

庭の風通しとともに、

自分もちょっとすっきりしたなぁ。

いい日でした。

桜の季節になりましたね!

今朝の嵐で盛りを過ぎてしまったところもあるかもしれませんが、

2年前の桜まとめを再アップしますラブラブ

 

 

 

 

NHKで映画「ルックバック」が放送されてて、見た。

 

まだ見ていない方にも十分に味わってほしいから、

内容についてはあえて触れず、

そこからインスパイアされた、私の思いについてだけ

書いてみたい。

まさに感想文。

 

人間は今日が昨日の続きだと信じて生きるようにできている

生きものだと思う。

だから、その信じていたものに断絶が生じたときに

理性でいくら言い聞かせようとしても

体がついてこない、そんなことがあると思う。

だからこそ、人間は生きものなんだろう。

 

この断絶の痛みを包む毛布が

「ものがたり」なんだよね。

 

それは

なにか大事なものが

壊れてしまった世界線で

それでも、これから先にも

自分にとっての安全があると

信じて歩くことのできる裏付け。

 

たとえば

壊れた世界線と、壊れなかった世界線があって

それは自己責任の果ての交わらないもの

と思うと、

仮に壊れなかった世界線があったとしても

それは自分が選ばなかったから現実化しなかったものになる。

 

でも、

壊れた世界線と、壊れなかった世界線に

何か交差する「ものがたり」があれば

壊れなかった世界線が存在していてもいいんじゃないか

いや、壊れなかった世界線もきっと存在しているんだ、と

そんな体感がもてるように思える。

 

それが、たとえばイタコだったり

占いだったり、

壊れた過去を意味づけるものがたりだったり。

 

各々の傷を包む毛布は、それぞれに違い

そばにいる人たちが胸を痛め、あれやこれや

こころを砕いたとして、

傷ついた人の傷に添うた「ものがたり」が

立ち上がるかどうかはわからない。

でも、その人にとって最適なタイミングで

その「ものがたり」についてのヒントは

目の前に現れるんだろう。

 

実体を掴めなくても

虚の世界があると信じたほうが

実世界が動きやすくなるのは、

数学の世界を見ても自明でしょう。

 

ただ、そういったことを

頭で理解していたとしても

体感的にそれを操れるかどうかは

まったく別の話。

 

ゆっくりと、ゆっくりと

今の世界を今日一日生き抜きながら、

壊れなかった世界線とたまさかの交わりが

感じられる日を待つのも

いいのかもしれないなぁ。

 

そんなことを

ふと

感じました。

 

ゆっくりと生き延びるのに

自分に必要なものを

のろのろと探しましょうよ。

 

それに恐ろしく時間がかかっても

仕方がないのよ。

大丈夫。

今の世が、

すぐに役に立つことに価値を置きすぎなだけだから。

 

 


私の描きたい生活というものがあって、
それがやりたくて、それと共鳴してくださる人と出会いたくて
上郡町に来て、古民家に住んで、

民泊を始めてみよう、という

今の生活を選びました。

描きたい生活、ということは、
当然その時点では、実践できていないわけで。

そして、かつて努力で切り抜けてきた経験があると
そこで実践できないのは自分の努力が足りない
意志が足りない、と自己責任にもっていきそうになります。

けど。

そうじゃないかも。

意志はあくまで意志。
実行部隊はからだ。
そして、意志を伝達する神経とか
そもそも、その意志をを発動するためには
外からの情報を感じるこころが必要で。

自分ひとりの「生きもの」ですら、
その中で、細胞やら細菌やら

たくさんのいのちの協力を得て、
生きています。

そして、これは町、地球、宇宙と

広げていってもそう。
緩やかな連携が必要で、
お互いの状態を確かめながら、
今、できることを一歩ずつ探っていけばよくて。

だから、完成は目指すけど、完成してなくていいのかな

と今では思っています。

「なりたいもの」へ導いたり、
「なりたいもの」のモデルを見せたり
そんな立派なことは、私にはできません。

でも、何十年も
なりたいものになれなくて、
もがいてもがいてしてきた、あれこれは
持っています。
その中で、今の時点でできる精一杯の、
「自分にあるものを活かして、自然の循環の中で生きる暮らし」
(ただし、無理はしない)
を提供して、こころやからだが感じることに意識を向けるきっかけに
なれたら、本当に幸いです。


自分自身が、まだまだその道を歩き始めたところでしかなく、

また、その歩みも遅々としていて
だから、それを「商品(?)」として提供していいのか
疑問はついてまわります。


ある程度、自分がやり遂げてから、始めた方がよいのでは?
また、そうでないとお客さまに失礼ではないか?


そう考える向きもあるでしょう。
それもごもっともだと思います。
自分でも、そう思う部分もあります。

その一方で、


じゃあ、その達成って、いつ?
そして達成することよりも、その過程の方が大切なら
一緒にゆる~く進んでいける場を作ることも
すごく大切なことなんじゃないかな、
と思います。

おこがましく、自分勝手にも見えるかもしれませんが
そっちの方が、私の生き方にしっくりきます。

なので、
描いてる絵にはまだまだ近づいてません、
できていないところが多く目につくでしょう、
でも、私は、あえて
「なりたいもの」を看板に掲げて、
「里山暮らし よはく」をまもなく始めます。

謙遜ではなく
至らぬ点だらけですが、
それも現時点ではこれが精いっぱいと受け止めつつ。
でも、これを受け止められなくて、
自動的に自分を責める部分もあるので、
それに疲れてしまったときはそれも認めつつ。

なりたいものに全然なれてないけど、
なりたいものになります。
 

今度、1月23日、移住オンラインセミナーで

ゲストスピーカーとして、ちょこっと

お話させてもらうことになりました。




それとのタイアップ記事で

「田舎暮らしの本」に載せていただきました。


チラ見せ。

私の部分はA4半分くらい。


ダンディなライターさんが

おうちまで来てくださって、

ドタバタなうちの感じを

美しく纏めてくださって😭


よかったら、書店で手に取るか

ぽちっとやってくださいな。

そして、オンラインセミナー、

少しでもご興味ある方、

ぜひお申し込みお待ちしてます。


プラスでもマイナスでもない、

等身大でお話したいなと、

現在頭の中で、練り練り中です。



あと、地域おこし協力隊という移住の仕方に

興味のある方には、こんなのもありますよ。

いま、地域おこし協力隊なさってる方にも

何か参考になるやもしれません。



どちらも

オンラインセミナーなので

気軽な気持ちでご参加くださいませ⭐️