昨日は、願いが叶った(と思った)とき、最初に思い浮かぶことが、その願いを叶えたかったほんとうの理由ではないかと書きました。


昨日のわたしの例で言うと、2人目の妊活を半年以上も頑張っていたほんとうの理由は「取っておいてある新生児用の衣服をまた使いたい」でした。



新生児用の衣服って可愛いですものね。そして、子どもが日に日に大きくなるからすぐ着られなくなるのに、汚れてもいないんですよね。

もしかしたら、わたしの「もったいない精神」の性質が働いたのかもしれませんニコニコ




ですが、そのほんとうの理由のために半年以上も頑張って妊活したのだと考えると、「人生に無駄はない」とは言うものの、正直、それこそちょっと勿体ない気もします。


というのは、もしわたしが、ほんとうの理由に早くから気づいていたら、きっとその時点で妊活は止めていたと思うからです。




そこで、なぜ、わたしは気づかなかったのかと考えてみました。



今の時点に立って、当時のわたしを振り返るので正確ではないとは思いますが、思い当たることは、わたしが持っていた思い込みに囚われていたこと、そして、心の余裕がなかったことです。



まず、思い込みがあると、無意識にそれを当然の前提にしてしまいますよねニコニコ


わたしの思い込みの1つ目は「ひとりっ子は可哀想」でした。父の思い出を母と共有できない寂しさを「わたしにきょうだいがいれば…」というところに向けていたと思います。



2つ目は「夫1人、子ども2人」というフレーズ(笑)です。当時の平均世帯として言われていた「夫婦と子ども2人」が、わたしの中で、「普通の」家族であり正解だと思っていたように思います。


息子を連れて外出したときなど、知らない人に「お子さん(の数)は?」と訊かれて「このコ1人です」と答えるとき、なぜだか心許ない気がしていました。

訊かれた人は軽い挨拶程度だったのでしょうが、わたしが勝手に自分の思い込みに囚われていたと思います。



1つ目の思い込みについては、きょうだいのいる親友が、頑張るわたしに「きょうだいがいても必ずしも全ての思い出や感情を共有できるわけではないよ」と親身に話してくれたことを覚えています。

「そんなものなのかな」とは思いました。


また2つ目についても、自分で色々考えてみて「夫も1人、子どもも1人で良いんじゃない?」と思ったりしたことも覚えています。


このときは、自分の思い込みについて、少なくとも頭では理解しようとしていたと思います。



ただ、この思い込みが、気持ち良いくらいにパッとわたしの中から消えたのは、わたしが2人目が欲しかったほんとうの理由、「取っておいてある新生児用の衣服をまた使いたい✨️」に気づいた後でした。




そしてそのほんとうの理由に気づいたのは「願いが叶った!」と思ったからですが、それは心の状態で言うと


心が緩んだから🍃


じゃないかなと思います。



それまでのわたしは、初めての子どもを育てるだけでも緊張していたのに、妊活もやることで更に気を配らないといけないことが増え、緊張が増していたように思います。



それが、願いが叶った!と思ったことで、張り詰めていた緊張が解け、心が緩み、良い意味で心に隙間ができて、ほんとうの気持ちに繋がれたんじゃないかなと思います。


 

改めて、心を緩めること、リラックスすることって、大切ですね✨️




ギベコ