想像と創造の毎日 -4ページ目

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。



  今朝の最低気温も、-10度を下回った。
  温度計や天気予報を見なくても、朝、起きたときの鼻から吸う空気の感覚で、外がどれくらいの温度かわかる。

  パン酵母も、それができると思う。
  部屋の温度が20度ぐらいあっても、夏の20度と同じようにはいかない。
  外から隔てられたその場所の温度は同じでも、ドアの開閉や太陽の光の強さなどが違えば、そこにいる微生物の種類も違うのであろうと思う。

  捏ねる私の手のひらの温度は一定でも、空気中の温度は違ったりする。

  だから既存のレシピはおおまかな流れを知る材料であるだけで、そのままを信じても上手くはいかなかった。

  山の中にいたり、漬物やパンを作っていると、感覚がいかに大事かわかる。

  山で転ぶ時、何も言葉で考えていないのに、上手く頭を守って、体は柔軟にしなり、衝撃を最小限に抑えることができる。

  みーちゃんは、私に転び方が上手いなあ、といつも爆笑するがそんなとき、私はいかに脳が、考える行為というものが、脆弱であるのかを思い知るのだった。
  


  社会は概念でできている。
  でも、自然はそうじゃない。
  美しさは、言葉で考えてわかるものじゃなく、ふと飛び込んでくるようなものだ。

  通勤前の凍りついたフロントガラスの模様も、そこから透けて見える山。

  それはそれぞれでありながら、どこかで溶け合っている。
  美しい。
  その理由はいつも、後付けだった。


(以下、文字起こし。⚠️恣意的に表現を変えたり、文章を短くしております。)


  実は人は概念で生きてる。
  社会的概念というものを頭で作ってる。
  物理で素粒子をやって、ギリギリ詰めていくと、方程式の中に時間がいらなくなる。
  どうしてかというと、全ては概念だから。

  概念同士がお互いに上手に整合し合っていくこと、そして外の世界とも合わなくてはいけない。

  外の世界と頭の中が上手に合ってるのが、科学技術。
  合うところは上手に進められるけれど、合わないところがいっぱいある。

  自然を見ていればわかる。
  生物多様性という言葉を使って何とかしようとするけれど、合わないところがいっぱいある。それは感覚の問題。

  多様性というのは、概念だけの話。
  自然とそうなることを恐れているとき、嫌っている。
  だから直に触れなさい。

  自然に対する態度は中立であること。
  人のことを考えてるわけではないから。
  世界って、こういうもんだね。と。

  自然は中立。
  中立は冷たい。
  物差しの典型は自然。
  自然というものさしで測ると、都市文明は成り立たない。

  今の人は測りすぎ。
  頭で考えるから、つい測る。
  
  普通の人は何人いるのか。
  そうやって測るのは、ほとんど意味がない。
  そういうものに頼って、判断している。
 
  じゃあどうすれば、頭に頼らず感じることができるのか。

  方程式の中に文字が入ってくるとわからなくなる子がいる。

  例えば2x=6なら、xは3。
  子供によってはこれが気に食わない。
  xは数字じゃない。
  文字だけではA=Bもある。
  感覚としては、AはBではない。
  そこに引っかかっているのは、理屈じゃない。
  文字という概念、数字という概念、それは同じなの?
  ここには、概念のぶつかり合いがある。
  それが同じなら、別の概念にしておく意味がない。

  その時に大事なのは、裏に何があるのかという感覚。
  文字と数字が違うというのは、感覚。
  AとBが違うのに同じにしろと言われるとは、自分の基準を壊すこと。

  A=B。
  そんなことが成り立つなら、なんでもありだな。
  そこは何に引っかかってくるのかというと、そんかきたねーことはできないということ。
  そんな汚いことはできない。ということは、倫理。
  だから人間が頭が進んでくると、倫理を無視される。

  でも、世界はA=Bの方向に行く。
  それを突き詰めたのが、コンピューター、0と1。
  0はいつまでも0で、1とは違う。
  同じと違うを頭の中で、綺麗にまとめている。

  でもその"違う"は、実は違う。
  頭の中で違うのであって、感覚で違うというのは、見たら違う、聞いたら違う、食べたら違う。

  中学生あたりで社会的な倫理観ってものは、ある程度、形成される。
  なので、A=Bが認められるような子供は、どんどん学校で進んでいく。

  それが染み付くと、人はコンピューターになる。
  ロボットが人に似てくる、コンピューターが人に似てくるというのは、とんでもない話で、そうじゃなくて。

  人に似てくるということは、人ってものがわかっているということ。

  でも、人ってものはどういうものかわからない。
  人は傲慢で、人間ってこういうものだって、思ってるってこと。

  そうじゃない。
  人間は、いろんな状況に合わせることができる。
  柔らかい。
  だから、人間がコンピューターの世界に合わせることができる。

  だから感覚の世界が消えると、何でもありになる。

  イコールというのは、人間が持つ意識の最大な特徴だ。

  だから自然に行きなさい。
  同じものなんて、ひとつもない。

  でも、りんごもみかんも同じ果物でいい。
  でも、食べれば違うとわかる。
  感覚を戻せる。

  でも、正義や公平は、同じ感覚に戻せない。
  完全に概念同士の話。
  そういうので、切って貼ったやるのは、馬鹿。