今朝の最低気温も、-10度を下回った。
温度計や天気予報を見なくても、朝、起きたときの鼻から吸う空気の感覚で、外がどれくらいの温度かわかる。
パン酵母も、それができると思う。
部屋の温度が20度ぐらいあっても、夏の20度と同じようにはいかない。
外から隔てられたその場所の温度は同じでも、ドアの開閉や太陽の光の強さなどが違えば、そこにいる微生物の種類も違うのであろうと思う。
捏ねる私の手のひらの温度は一定でも、空気中の温度は違ったりする。
だから既存のレシピはおおまかな流れを知る材料であるだけで、そのままを信じても上手くはいかなかった。
山の中にいたり、漬物やパンを作っていると、感覚がいかに大事かわかる。
山で転ぶ時、何も言葉で考えていないのに、上手く頭を守って、体は柔軟にしなり、衝撃を最小限に抑えることができる。
みーちゃんは、私に転び方が上手いなあ、といつも爆笑するがそんなとき、私はいかに脳が、考える行為というものが、脆弱であるのかを思い知るのだった。
社会は概念でできている。
でも、自然はそうじゃない。
美しさは、言葉で考えてわかるものじゃなく、ふと飛び込んでくるようなものだ。
通勤前の凍りついたフロントガラスの模様も、そこから透けて見える山。
それはそれぞれでありながら、どこかで溶け合っている。
美しい。
その理由はいつも、後付けだった。
(以下、文字起こし。⚠️恣意的に表現を変えたり、文章を短くしております。)
実は人は概念で生きてる。
社会的概念というものを頭で作ってる。
物理で素粒子をやって、ギリギリ詰めていくと、方程式の中に時間がいらなくなる。
どうしてかというと、全ては概念だから。
概念同士がお互いに上手に整合し合っていくこと、そして外の世界とも合わなくてはいけない。
外の世界と頭の中が上手に合ってるのが、科学技術。
合うところは上手に進められるけれど、合わないところがいっぱいある。
自然を見ていればわかる。
生物多様性という言葉を使って何とかしようとするけれど、合わないところがいっぱいある。それは感覚の問題。
多様性というのは、概念だけの話。
自然とそうなることを恐れているとき、嫌っている。
だから直に触れなさい。
自然に対する態度は中立であること。
人のことを考えてるわけではないから。
世界って、こういうもんだね。と。
自然は中立。
中立は冷たい。
物差しの典型は自然。
自然というものさしで測ると、都市文明は成り立たない。
今の人は測りすぎ。
頭で考えるから、つい測る。
普通の人は何人いるのか。
そうやって測るのは、ほとんど意味がない。
そういうものに頼って、判断している。
じゃあどうすれば、頭に頼らず感じることができるのか。
方程式の中に文字が入ってくるとわからなくなる子がいる。
例えば2x=6なら、xは3。
子供によってはこれが気に食わない。
xは数字じゃない。
文字だけではA=Bもある。
感覚としては、AはBではない。
そこに引っかかっているのは、理屈じゃない。
文字という概念、数字という概念、それは同じなの?
ここには、概念のぶつかり合いがある。
それが同じなら、別の概念にしておく意味がない。
その時に大事なのは、裏に何があるのかという感覚。
文字と数字が違うというのは、感覚。
AとBが違うのに同じにしろと言われるとは、自分の基準を壊すこと。
A=B。
そんなことが成り立つなら、なんでもありだな。
そこは何に引っかかってくるのかというと、そんかきたねーことはできないということ。
そんな汚いことはできない。ということは、倫理。
だから人間が頭が進んでくると、倫理を無視される。
でも、世界はA=Bの方向に行く。
それを突き詰めたのが、コンピューター、0と1。
0はいつまでも0で、1とは違う。
同じと違うを頭の中で、綺麗にまとめている。
でもその"違う"は、実は違う。
頭の中で違うのであって、感覚で違うというのは、見たら違う、聞いたら違う、食べたら違う。
中学生あたりで社会的な倫理観ってものは、ある程度、形成される。
なので、A=Bが認められるような子供は、どんどん学校で進んでいく。
それが染み付くと、人はコンピューターになる。
ロボットが人に似てくる、コンピューターが人に似てくるというのは、とんでもない話で、そうじゃなくて。
人に似てくるということは、人ってものがわかっているということ。
でも、人ってものはどういうものかわからない。
人は傲慢で、人間ってこういうものだって、思ってるってこと。
そうじゃない。
人間は、いろんな状況に合わせることができる。
柔らかい。
だから、人間がコンピューターの世界に合わせることができる。
だから感覚の世界が消えると、何でもありになる。
イコールというのは、人間が持つ意識の最大な特徴だ。
だから自然に行きなさい。
同じものなんて、ひとつもない。
でも、りんごもみかんも同じ果物でいい。
でも、食べれば違うとわかる。
感覚を戻せる。
でも、正義や公平は、同じ感覚に戻せない。
完全に概念同士の話。
そういうので、切って貼ったやるのは、馬鹿。

