想像と創造の毎日 -4ページ目

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

  




  25歳を過ぎたら、随分生きやすくなった。
  久しぶりに帰ってきた娘は、そう言った。

  息子は呼んでもいないのに、娘と彼氏(来月旦那)が来ることをどこからか知って、自分のお気に入りのお店のシュークリームを携えてやってきたはいいが、娘にシュークリームは嫌いと言われている。

  娘の彼氏の手には、目には見えない手網がいつでも握られている。

  自由にさせているようで、言いなりのようで、娘の様子を常に調教師のような目線で見ている。

  生きやすくなったのは、きっと、彼氏のおかげだ。
  自分でも、そう言っている。

  どんな娘であっても決して否定せず、見守っている。
  そんな父親のような飼い主のような彼にうちで、お得意の唐揚げを作ってもらったのだが、これがまた娘の言った通り、天才的な腕前だった。

  人の目が気になっていた、と娘が言うから、私はえ?と思う。
  いや。気にしては居たのだろうが、他人がどう思っているかを表情や雰囲気で掴めなかったから、コミュニケーションが苦手だった。

  だけど、他人が自分のことをどう思おうが、自分にはそのままで受け入れてくれる人がいつも傍にいる。

  そのことに気付いたとき。娘は、本当の"ありのまま"という意味を理解したのだと思われる。

  だけどそれは、娘の方が先だった。
  彼氏は彼氏で、また違った生きにくさを抱えている。
  それは、ひどくお腹が弱い。ということだ。
  どこへ行くにもトイレの場所をまずは確認しなくてはならず、それでも間に合わないことが多々ある。
  仕事にも支障が出る。

  ある日、散歩中にもよおした彼は、耐えきれずにその場にしゃがみこんだ。
  娘は、そこにしなよ。と言って、その様子をじっと見ていたという。

  そして次の日に、それがどうなっているか見に行こう!と娘が言って、二人で"ブツ"を確認しに行って、楽しかったと言っていた。

  いやいや。今度からはちゃんと、火バサミと袋を持って片付けなさいよ。と返した私もどうなんだ?!

   息子は知らぬ間にバイクの免許を取りに行っていた。
  危ねーな、と私は内心、恐ろしい。
  そして来年には、遠くに引っ越して、彼女と一緒に住むのだと言った。

  子供たちは自分のことは自分で勝手に決められる大人になっていた。

  私が山でのんきに死にそうになりながら命を削っている間に、子供たちも同じように生の実感を味わっている。

  息子が帰ってきた瞬間から、目が痒い!目薬ないか!と叫んで、私はカバノアナタケ茶でも飲んどけ。とヤカンを火にかけると、娘が、「思想強め」と呟いた。

  ああ、そうだよ。ママは、薬になんて頼らねー。カバノアナタケでなんでも治ると信じてる!と言い返したら、そうだね。プラセボ効果は侮れない。と娘は笑った。

  目を真っ赤にした息子がカバノアナタケ茶を飲み干す。
  しばらくしたら、あ、治った。全然痒くない。と息子が言うので、私はその思った以上の効果に驚く。

  娘はうちも前にもらって飲まないでたくさんあるから、帰ったら職場にもってって飲む。と言い出した。

  出涸らしは、風呂に入れるといい。と言うと、彼氏がなるほど!と興味深そうに頷いた。

  そう。私たちは。
  互いにひどく自由気ままで、そんなに頻繁に連絡も取らず、互いに何をしているのか、ほとんど知らないのだが、心はカバノアナタケで繋がっているのだ!
  
  娘は言った。大人になる。ということは、自分ができることとできないことを知ることだよね。と。
  それは、私が前に言ったことだけど、体感として分かるようになったのか。

  そうだよ。大人になるということは、カバノアナタケの効果を信じる、ということだ。(そうなの?)

  つまり、根拠がなくても、自分のことを信じ切る、ということだ。
  それが、どんな結末をもたらそうとも構わない。という覚悟で。