鮭の飯寿司は、今年が一番、理想に近く仕上がった。
お正月に食べたときは、漬かってはいたが野菜と鮭の味がまだバラバラで、なんとなく馴染んでいなかった。
最後のひと樽だけ、逆さおせ(水切り)をせず、放置していた。
それを先日、水を切って食べてみると、味が激変していた。
漬けてから、約50日経った状態である。
野菜はさらにしんなりとした食感になり、味が染みている。
鮭は、ベタつきが一切なく、ふんわりとしていて、塩気と甘味のバランスが絶妙だ。
日々、成長(発酵)し続ける、ある意味、生き物である飯寿司の美味しさのピークはここだと、直感的に感じる。
酸味が強過ぎず、食感も絶妙。まさにここが、飯寿司の一生の躍動期に当たる青年期だ。
塩とご飯のみで作る鮒寿司の類は、だいたい二年以上かかるが、そのスピードを早めるために飯寿司には、麹やみりんなどの各種調味料を必要とする。
麹はパンで言えば、発酵のスターターだ。
漬けはじめの三日間の少し高めの温度で、ある程度の発酵を促し、麹を溶かす。
そこから重石をかって、1度以上、5度以下の温度を保ちつつ、ゆっくりと発酵を進める
凍らないギリギリの温度を保ち続けることが重要だ。ここが、飯寿司の成功を握る鍵だと言ってもいい。
パン作りにおいての自家製酵母も、同じだとやはり思う。
なるべく環境を突然変えないで、だけど、様子をよく観察しながら適正なタイミングにおいて、次の過程に入る。
それは、私と酵母がコントロールしている、されている、という一方通行の関係ではない。
特にパン作りには、パンチングという作業があるが、そのままで置いておくとダラダラと発酵が進み、腐敗に向かっていくところを今一度、生地に刺激を与えて、酵母の力を促す過程が重要でもある。
相手チーム代表のような、自分の機嫌を自分で取れず、自分の思い通りにいかないことは人のせいというタイプは、本人にその自覚がない。
利害が一致する人たちは彼女の機嫌をとって、彼女の言うことさえ聞いていれば、自分の仕事は増えずに済むのだろう。
しかし困るのは、私のようなその下にいるものたちだ。
システムを変える権限を持たないのに、不都合は丸投げされる。
私は自分の不便さをこう変えたいと言えるし、その際の提案したことについての責任を負う覚悟はあるけれど、そもそもその提案が上に伝わらなければ、非効率なまま、仕事が増える。
自分には関係ないと思う上司は、その手間を惜しむ。
相手は変えられない。
そもそも伝わらないのは、私の言い方が悪い。
相手の立場を尊重しつつ、毅然とした態度で自分の意見を誠実に伝えるのは技術がいるのだが、みながそうできるわけではないだろう。
私はそういう相手は、酵母だと思うようにした。
酵母に直接手を加えても、相手は機嫌を損ねるばかり。
ならばそっと、環境の方に手を加える。
自分が機嫌良く過ごし、相手の状態がどうであれ、居場所と居心地の良さを提供するしかないのだ。
しかし時々は、パンチングを加える。
機嫌の悪いところで、そのままの反射で返すのではなく、時間をおいて話す。
急ぐときは、簡潔に抽象度を上げた自分の目的を説明し、相手にして欲しい具体的な行動を"お願い"する。
私は飯寿司の樽を包む毛布であり、パンの発酵を促すカイロでありたかった。
タンチョウはあれだけの大きな身体で、実に優雅に空を飛ぶ。
風を読み、その一回の大きな羽ばたきで、あの重い体を効率良く前へと進める。
野生動物たちは、自然環境と実に上手く調和していた。
寒空の下、新雪に残されたそんな動物たちの足跡を眺めながら、この子は誰だ?何をしようとして、ここを歩いた?と考える。
そう想像することは、私を冷静にさせ、そして思考を深めさせた。
欠陥だらけの生き物たちは、その欠陥を他者との繋がりの中で、補い合っている。
賢さとは、何だろう。
今一度、考える。
それは、原因を探り、悪者を決め、排除することではない。
自分はその循環の一部でしかないことに謙虚になることだった。


