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想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。


  今年の夏は、イワシがあまり釣れなかった。
  そもそもイワシは、この辺ではメジャーな魚(少し先の釧路港あたりは漁獲量日本一だったりするが)ではないと思う。
  幼い頃から頻繁に食卓に上る魚は、鮭、タラ、コマイ(これはおかずというよりツマミかおやつ)、カレイ、サンマである。

  でも日本で一番メジャーな魚は、イワシ(マイワシ)なんじゃないだろうか。
  
   大衆魚は?と聞かれるとイワシしか思いつかない。

  夏、釣ったそばから捌いて、刺身にするとイワシは本当に美味しい。  
  刺身の中で、いちばん美味しいのはイワシなんじゃないかと思えるぐらいだ。
  しかし、この子はいかんせん、すぐに傷むという弱点がある。
  イワシの刺身の本当の美味しさは、(捕れた瞬間からしっかりと温度管理されて運ばれる以外は)漁港の近くでしか味わえないんじゃないだろうか。


  今になって突然、  港に大量のイワシが入ったらしく、師匠がまた大量に釣ってきた。


  前提知識として今は旬ではないと思ったから、初めは5匹でいいです。と言ったのだが、捌いてみると、今までで見たこともないぐらいのスペック(?)のイワシだった。


  すぐに師匠に、また追加で所望したところ、なんと50匹以上もくださった。

  断る訳にもいかず、またひたすら三枚に捌き続け、わが台所は加工場と化す。


  夏のイワシ捌きは、温度との勝負だ。

  いくら氷で締めていても、手で持った瞬間から身が崩れていくのがわかる。


  けれどもこのイワシときたら、まず魚体が大きい。というよりも、体高が高い。丸々と太っている。煮付け用を少し残し、それ以外をすべて三枚に下ろす。

  皮を剥ぐと、皮の下が真っ白な脂肪に覆われている。

  二匹捌いただけで、包丁は脂ですべり、すぐに切れ味が悪くなってしまうくらいだ。


  とりあえず、刺身となめろうにして、ちょうど来ていた息子に食わせた。  

  刺身や小骨の多い青魚系が苦手な息子は、初め怪訝な顔をしていたが、一口食べると、なにこれ?!とろける!と興奮し、なめろうはご飯にかけて、卵黄を落とし、あっという間に捌いた分を平らげてしまった。


  しかし本当に脂がキツい。

  夏のイワシよりも、そんなに量を食べられなかった。

  

  捌いていると、時々、内臓から緑色のものが出てきた。餌の植物プランクトンか?

  精巣が発達した個体もあったが、卵を抱えているものはいない。

  

  サンマやイワシは、胃がないらしく、塩焼きにして内臓ごと食べることが出来る。

  食べた餌は、直接腸を通り、排出されるという。



  調べるとマイワシの旬は、5月から10月までだそうだが、どう考えても今食べているこのイワシこそ、旬の味だと思える。


  わずかなオスは白子をもっていたが、卵を持った個体はいなかったから、産卵期前の一番脂ののった時期の群れだろう。


  昨今の海水温の上昇とか、地軸の傾きの変化とか、そういうので、違うルートから来たイワシたちが近くの港にたまたま迷い込んだだけなのだろうか。


  三枚に下ろし皮を剥ぎ終わるまで一時間半ぐらいかかった。

  けれども夏に捌くよりも、全然仕事が早い。

  捌いておけば、つみれやフライ、蒲焼などで食べられる。

  干すことも考えたが、脂っこいので、すぐに酸化してしまいそうだ。


  捌いたあとに出る大量の鱗が、ヌメヌメとした脂を纏いキラキラ光りながら、何度も排水溝を詰まらせた。


  何時間も台所に立ちっぱなしで、さすがに肩と腰が痛くなったが、私はやっぱり魚を捌くことが好きなのだろう。

 

  しかし、捌き終わったあと、無数の生首がゴミ袋からこちらを覗いているのが見えると身震いがする。


  鰯の頭も信心から。ということわざがあるという。

  つまらないものでも信仰の対象となれば、有難いと思われるようになるとの例えだそうだ。


  鰯って、つまらない魚なんだろうか。

  水族館で見た大群は、大勢がひとつの意思を持っているように統率された動きだったし、刺身にすると一番美味しいし、料理のレパートリーは沢山あるし、昔はイワシの脂が行灯に利用されてもいた。


  高価で貴重で珍しいものじゃなく、ありふれていて、珍しくないものを信仰(感謝)した方がいいんじゃないか。


  いつでもどこでも手に入るものが、突然無くなること、当たり前だと思っていたものがそうではなくなることの方が、ずっと怖いのだし。