想像と創造の毎日 -38ページ目

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

 女の集団の中にいると、時々ひどく居心地が悪い時がある。
 それは私の根本に眠っているアダルトチルドレン的な要素による"察しなくてならない"という潜在意識からの命令に支配されるからなのだ。
 女の話はだいたい解決策や自己反省を促されることを欲していない。
 ただただどんな心のありようでも、共感し、受け入れて欲しいというものだ。
 それは全然、悪いことじゃない。
 だけどそれがエスカレートして、誰かや何かのせいにする方向に話が盛り上がってくると、途端に逃げ出したくなる。
 まあそれでも私は自分の遊び相手に無意識にその辺の境界線をわかっている人を選んでいるから、居心地が悪い場所にはそんなに行かなくなった。

  みーちゃんと出会ったときは、噂通りになんて気の強い女なんだ!と衝撃だった。平気で上司に楯突くし、空気なんてほぼ読まない。
  自分がおかしいと思ったことはまっすぐに口にするし、それで自分が嫌われるかどうかなんて全く気にしちゃいないふうだった。
  周りはそれが圧が強い系とか怖いとかいって揶揄していたが、私は不思議とそれが嫌じゃなかった。
  私に対しても、初めは敬語を使いつつも、はっきりと物申すものだから、カチンときたりしていたが、冷静に考えれば一理あると思ったし、何より私がどう感じるかなんて考えずに自分の思ったことをまっすぐに言葉にしてぶつけてくることが、なんだか頼もしいとすら感じた。

  だから今は、みーちゃんといるのが私にとって一番心地いいのかもしれない。
  きっとそれは彼女が、私に人間として最低限の尊重を保ちつつ、私に同調し過ぎないからだと腑に落ちた。

https://note.com/renren_acx/n/n1753f87a83ff


  最初の頃は遊んでいても、いろいろ意見が違うところが多くて、わりとぶつかり合った。

  今でもお互いに納得できないままのことも多いけど、でも、それでいいんだ。と互いに思えるようになったんだろう。

  

  私は私で、コイツには共感を求めても無理。と思っている。しかしそれは、どうせ分かり合えないと諦めているのではなく、分かり合えない部分ですら分かり合えると思えるようになったからだった。

 「言語化しない関係」が“心の距離”を生む



 上記の記事の中にあるこの言葉にとても納得した。

 言葉にしなくても分かり合えることが、本当の友達だと思っていたけど、そうじゃない。

 察することに慣れていると、自分の気持ちを口に出さなくなり、でも言葉にしないと伝わらないから誤解やすれ違いが生まれるからだという。

  

  みーちゃんは、納得できないこと、理解できないことは、何度でも私にしつこいほどに尋ねてくる。

  最初は、マジかよ。それも伝わらないのかよ。ともどかしかったが、私はそれでどう言葉にすれば、どういう文脈なら伝わるのか、ものすごく考えるようになった。

  まず出来事を説明し、そこでの正直な気持ちを伝える。

  出来事はなるべく自分の思いを入れないように客観的な視点を意識して話す。それから、自分がどういう気持ちになったのか、相手にどう思われるかなんて考えないようにできるだけ正直に伝える。

  自分が悪いと思わなければ謝らない。でも悪いと思ったら素直に謝る。

  そういうことを繰り返して、私たちは今の関係を築けるようになったのだろう。


  幼なじみと言える友人は何人かいた。

  そいつらには、悪い自分も情けない自分も正直に出すことができた。

  それは、幼い頃からたくさんぶつかって、喧嘩して、互いに相手のことを受け入れられるようになったからだった。

  だから誰かがおかしなこと、面倒なことを言い出しても、おまえの悪い癖、また始まった、あはは。で終わる。それは自分に対しても然り。


  でも大人になると、ぶつかり合わないように付き合うから、なかなか本当の友達ができない。

  感情的になるのは大人気ないとか思ってしまう。

  だけど、納得できないことをスルーしてしまう癖がつくと、自分を疲弊させたり、自分に自信がなくなってしまった。

  別にこいつ、どうでもいいや。とめんどくさくなってしまえば、新しい人間関係の中には飛び込めなくなる。


  察しなくても受け入れてもらえる。

  自分の言葉で話しても大丈夫。

  間違っても責められない。


  これが、安心できる人間関係なんだと記事にはある。


  幼なじみやみーちゃんに対しては、これが全部ある。

  どれだけ仲が良くても、全部を分かってもらえることなんてない。

  だけど、自分の正直な"気持ち"はみんな否定しない。

  おまえ、おかしいよ。とは言われること、おまえ、それ変。と言うことはあっても、おまえの存在が必要ないとは言われないし、私もおまえがいらないとは思わない。


  言葉にすることを厭わない。

  でもわかってもらえると期待しない。


  それが、真の精神的自立というものだろうか。



  職場はなんとなく、上手く回るようになった。

  トップの立場であるみーちゃんが、"大人"であるからだ。

  

  おい。あんたが誰を嫌いでも構わない。けど、せめて仕事ではそれを周りに悟られるなよ。

  普通に仕事を回してくれ。

  あたしら下っ端がやりずらくて敵わん。

 

  私の正直な気持ちにみーちゃんは、不快な顔ひとつせず、わかった。と答えた。


  さすが。私の信じる人。

  

  私は言葉を使わなくても分かり合えるようになるために、言葉を使い続けるのだ。