例えばぴー様は、誰よりも先に地震に気付く。
それは、人が感じられないような震源地から迫り来る地球の震えのようなもの。
それが静かな暗闇の中で起これば、パニックを起こしゲージの中で暴れ回る。
明るくて、物音がしていれば、冠羽を立ててピピっ!と小さく鳴いた。
人間のようにぴー様は、物事を言葉で認識しないがゆえに、ダイレクトに意識は僅かな大地の変化を察知して、ストレートに身体が反応してしまうのだろうか。
ずっと前に、アール・ブリュット展という障がい者の方たちのアート展を見に行ったことがある。
普通の感覚ではおおよそ描けないような細かく繊細な点が集められて、街や動物の絵になっている作品を見た。
彼(彼女?)にとって世界は、こんなふうに見えているのか。
私は物を線で繋げられた世界しか認識できないけれど、彼はもっと世界を曖昧なまま見ているのかもしれない、と。
素粒子とは、物質を構成する最も基本的な、それ以上、細かく分けられない最小単位の粒子だそうだ。
この世を構成するものがすべて、素粒子でできているのなら、この目で見ることのできない部分をもっともっと細かく見られる顕微鏡で覗けば世界は、全部結局はおんなじものだということだ。
人間の意識で認識できる世界は、所詮、とても小さなものだ。
意識を介さずにいれば、生きていることも死んでいることも、真っ二つに分けることは本当はできない。
川っぺりムコリッタ。という映画を見た。
最初はダラダラと退屈だなと思っていたけど、いつの間にか、涙が出てきた。
それは、わんわん泣くのでもなく、ツーっと流れる類の涙だ。
出てくる人達は、社会に馴染めなくて、質素な生活をしているけれど、それが可哀想とかそういうんじゃなくて、きっと社会に馴染んでいれば見えない世界があるってことだけを何となく思った。
魂を見た、とか、宇宙と交信してるとか、普通に聞けばちょっとアレなことを言ったりしてるけどそれは、辛い現実からの逃避なんかじゃないと想える。
彼らは、ぴー様のように普通の感覚の人間にはない素粒子の世界を感じられる感性があるのかもしれない。
それは、自分と世界の境界線が曖昧な意識の世界なんじゃないか。
題名にある"ムコリッタ"は、仏教における時間の単位のひとつで、48分間を意味する言葉で、もしくはささやかな幸せという意味も含まれているという。
ともすれば敏感過ぎるのであろう登場人物たちにとって、社会はあまりに分けられ過ぎて、少々複雑なのだろう。
出てる俳優が豪華なわりにスケールが小さいなと思って見てたけど、反対だった。
めちゃくちゃ、良かった。
