エゾシカのオスの群れの中で、一頭だけ片方の角が落ちていた。
落ちたばかりなのか、角の生え際は真っ赤に血が滲んでいた。
小さなオスジカが、執拗に大きな角を持つオスをしつこく追いかけている。
闘える角を持たないのに、どうして執拗に近付いていくのか。
大きな角のオスが、反射的に角を突き付けるのだが、相手に角がないとわかると、すっと離れてしまう。
これは、本能なのか。
やがて、ハーレムを率いるのは自分だと大きなオスたちを今から牽制したくなるのか。
一日の大半を食べることに費やす隙間にエゾシカの物語がある。
車では一瞬で通り過ぎてしまう景色をこの遅い歩みで味わう。
春はじわじわと迫り来る。
外からの光を合図に、内からの命の芽生えで、指数関数的に押し上げられていく。
それは、因果ではなかった。
どちらからともなく伝え合う、相関的なものだ。
違うように見えて同じで、同じようで違う。
感じたことを思考すれば、どうしたって原因を探した。
それは自分から始まるけれど、自分は自分ではないものの存在によって生まれるものだった。
風景の中の物語に没頭していると、自分はただの観察者だ。
そのうち自分すらもただの風景なんだと思う。
ふと、風の冷たさに身震いした。
石ころに躓いて、冷や汗をかいて、はっ!と我に返る。
痛みだけが、自分を自分たらしめている。
不快さが、命の有り様を輪郭付けてる。
心地良いのは、心地悪さを知っているからだ。
優しさは傷の深さに比例するはずだ。









