対話 | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

  息子が車を持ったら持ったで、毎日質問がうるさい。

  何せ、車の購入や引越しの際に理不尽なことが多々あって不信感が募っているように見える。


  前にうちに来た時に私の本棚を見ながら、彼女に勉強なんてしなくていい、本なんて読まなくていいとか言ってて、私は呆れ返っていて、息子がお風呂に入ってる隙に、彼女にまだまだ子供でごめんね。と謝ったことがあった。

  彼女は笑って、息子の不完全さがいい。一緒に成長できる人がいい。と言ってくれて私はなんていい子なんや…と涙が出そうになった。


  それはまあ別に関係ないのだが、息子は確かに勉強しなくても、本を読まなくてもいいのかもしれないとも思ったりするのだ。


  こないだ息子の街に用事があって、スタンドでガソリンを入れたのだが、なんとそこの従業員のお兄さんが私の車を見て、こないだ息子さんがオイル交換してくれてありがとうございました。と言ったのだ。いつのまにか息子は行きつけのスタンドで従業員さんと顔馴染みになっていたのである。


  前のバイト先でも年上の人達に何度も奢ってもらったりしていた。


   息子は勉強は出来ないし、様々なことで不器用ではあるが、コミュニケーション能力は高い方なのだろう。


  だから、車のことでも何でも、スタンドやディーラーに聞けばいいんじゃないか。と言ったら、ああ!そうだったね!と返ってきた。


  今は確かにネットで調べれば何でもわかるかもしれない。けれども、本当にそれでいいのか?と思うことがあるのだ。  

  ネットで簡単に情報は手に入るけれども、同じぐらい信用ならない情報もたくさんあることも確かだ。


  ならば、やっぱり身近にいて、実際に顔を合わせて話が出来る専門の人に聞くことが一番いいような気がする。

  もちろんそこで対価も払うことは必要だろう。

  しかしそして顔馴染みになっていけば、親切に色んなことを教えてくれる人は世の中、たくさんいる。








  岡田斗司夫さんが、親友と呼べる人は山田玲司さんだと言っていて、よく知らなかったのだが言っていることがわかりやすいし、納得出来る。

  しかも彼のコミニュケーションの仕方が秀逸である。

  特に人の話を聴く姿勢はとても参考になる。

  瞬間を機嫌よく過ごす、アイツはダメなんだと言ってバカの壁で塞がない。

  先入観を捨てて、一旦眺め、繋がっていく。

  相手を許して話を聞く。

  バカの壁の中で孤立していくとどんどん世界が狭くなって苦しくなる。

  これらは本当にその通りで、自分とは合わないと言って一旦距離を取るのはいいけれど、合わないところを見つけるたびに拒絶してしまうと、ひとりになって生きにくくなるのだ。

  

  彼は勉強するなとは言わない。むしろ、教養をつけろ、知ることを楽しめと言う

  

  息子は本は読まないが、漫画やアニメは好きである。

  その内容について話し合っていると、着眼点が面白いし、私もへえ!と思うことがたくさんある。


  最近はガンダムにハマっているらしく、私は見たことがないのだが、善悪二元論ではないストーリーが考えされられるし、今の問題とも繋がっていると言っていて、私も見たくなった。


  息子はまだ若いので、まだまだアイツはダメだ!ムカつく!と感情的になって拒絶することも多いのだが、時間が経つと、でもこういういい所もあるんだよな、と言うこともある。


  言葉足らずで後手後手になった車屋の兄ちゃんのことも、大手だけど、だからこそ、ブラック企業の体質もあるんだろうから、そうなるのもわかる。と言った。


 慮る。尊重する。

 その心がなければどうして、相手に自分の気持ちや考えを聞いてもらえるというのだろう。


  それは言いなりになることとは違う。

  目先の自分の利益、つまり損得勘定ではなく、まずは相手のことを考える。

  その姿勢があって初めて、対話になるのだろうな。


  山田玲司さんの話し知識量ももちろん、対話の仕方に関してもものすごく参考になる。



  残雪が、トンネルのようになっている。 

  雪を溶かしたのは、雪上に降り注ぐ太陽の光、それに伴う熱ではなく、川の流れでもあるのだろう。


  山から流れる水が動くことで雪を下からも溶かしているのだ。


  川の水と雪が触れ合う。  

  溶けた雪は川の水と溶け合う。


  雪の中にも様々な有機物が含まれていて、それらが川の中、そして最終的には海へ、豊かな恵みとなって生き物たちを育んでいく。


  触れ合いながら、融合していく。

  その接地面では、わずかながらでも熱が発生するのだろうか。

  

  聞くことは恥ずかしくない。

  むしろどんどん、質問しろ。

  けどさ。前のブラックなバイト先はいちいち聞いたら怒られたよ。

  だから、ブラックなんだろ。

  見て覚えろ、なんて、ただでさえ、労働力が足りない世の中で、今はもはや通用しない。

  自分が失敗して間違えたら結局周囲に迷惑をかけて、もっと面倒なことになる。

  同じことを何度も聞くのは確かに無能だけど、問題は尋ねる姿勢とタイミングだな。


  おまえが楽しいやつなら、話しかけられる人も楽しいんだ。


  聞かれて不機嫌になるのは、おまえの問題じゃなく、その人の問題かもしれないし、おまえの質問の仕方の問題かもしれない。


  そこを見極められるのが、賢さだろ?

  賢さは学歴の高さでも、知識量の多さでも、IQの高さでもないはず。


  何にしても話をしなければ。

  人と人は触れ合わなければ。

  そこで生じる熱が、私たちを繋いでいくのだから。