新天地へ | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

  結局、最後まで陰口叩かれてたよ。


  娘は職場を退職し、新天地へ旅立った。

  引越しの手伝いに行ったが、息子とは違って掃除はほぼ終わり、すっかり片付いていて、楽だった。

 

  誰が言ったどんな陰口?


  同僚が先輩に、「言ってもあの子、仕事できないすよ。」って、言ってるの聞こえた。確かに失敗じゃないけど、前の日に気が利かないことしちゃったから。同僚の方が頭いいし、仕事できるから、それは本当のことだから、もう別にいいけどさ。


  娘は気が利かないが、三年前よりも随分と私は成長したと思う。

  仕事ができないことは想像がつくが、私が一度言ったことはしっかりやるし、私よりも思いやりはある気がするし、何より私のようにすぐにイライラしない。


  娘にとって患者さん始めとした自分以外の他人は、いい意味で"モノ"なのだろう。

  自分に当てはめない…当てはめることが苦手な部分で、他者をむやみに裁かない。


  娘はそのことを、自分が誰よりも出来損ないだから、批判するなんておこがましいからだ。と言ったけれど、人は知識と経験を増やすほどに、傲慢になり、自分が万能にでもなったようにできない他者を見下すものだ。


  娘は確かに出来損ないかもしれない。昔から人よりも不器用で、何事もできるまで人の倍、時間がかかった。

 しかし誰もが人間である限り出来損ないなんだとも思う。経験を重ねるほどに知識を増やすほどに、そのことに気づけることが賢さである。

  だから賢者は、人一倍謙虚だ。

  歴史上の天才と呼ばれる人々の多くが、自身の無力さにうちひがれてきたのだから。


  娘の自己肯定感が低いのは、たぶん私のせいだった。思い当たる節が結構ある。

  けれども今の彼氏は、娘の全部を受け入れているように見えた。

  しかし彼氏は言うのだ。娘は本当は自己肯定感が低くはないのだと。

  よく考えれば、娘はどれだけ叱られても陰口を叩かれてもほぼその人たちのことを悪く言うことはなかった。

  寂しさを紛らわすために自分を偽るぐらいなら彼女はいつでも孤独を選ぶ。


  だから彼女の周りには、彼女が心から信頼する人しかいない。

  数はとても少ない。だけど、周囲の友人や彼氏は、おおらかで偏見がなく、強く賢い人達のように思えた。


  娘の看護学校時代の親友が、娘に言ったという言葉を思い出す。あんたが自分をおかしいと思うのはあんたが田舎の狭い場所で生きてきたからだ。都会に出れば、頭のおかしいやつはたくさんいるんだよ。あんたなんて、全然おかしいうちに入らない。


  いやいや。もっと言えば、自然界なんて、人間の社会に比べればもっと残酷に見える。増えすぎると共食いするし、自分の産んだ卵を食べちゃう魚もいる。


  いやいやいや。人間の社会こそ、おかしいことで溢れている。金を崇拝しているし、おまけに欲しがる人の多さに価値をつけたりする。それは自分が本当に欲しいものなのか、みんなが欲しがるから欲しいと思うのか、よくわかってもいないのに。

  資本主義こそ、カルト!


  引越し、手伝ってくれてありがとう!


  よくわからないタイミングで娘はそう言い、私はキョトンとなる。


  ありがとう、か。

  それが言えれば充分じゃないか。


  私の方こそ、ありがとう、だ。

  おまえのおかげでいつも、自分の傲慢さや支配欲に気付かされてきたんだから。

 

  仕事ができなくて、別の部署に移動になった後輩が、私のところに挨拶に来た。


  全然分からない場所に行くから不安だ、と言う。

  でも、この歳になったらそんなこと言ってられない。やるしかないよね!と自分を鼓舞して、彼女は笑った。


  みーちゃんにそのことを告げると、みーちゃんは少しバツが悪そうにしながらこう言った。

  だったらさ。最初からちゃんとやるべき事やれば良かったのに、と。

  

  社会における人間は、いつでも社会に都合良く回される歯車だ。

  だけど、本当はそうじゃないってことを娘やその後輩は教えてくれているような気がした。


  寂しいなあ。と私は後輩に告げる。

  仕事ができなくても、私は彼女の言動が仕草が結構好きだった。

  優先順位が違ったんだ。

  人に嫌われないようにする方法に頭を使っていたのに、実はその一番の方法が、仕事を上手く回すことだったなんて悲しいなあ。


  友達だったら確かに楽しい。でも、仕事となると、ね。とみーちゃんは言い、世知辛い世の中だ。と私はため息をつくしかなかった。