不適切にもほどがある! | 想像と創造の毎日

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ネタバレ注意⚠️

 テレビを見ていないものだから、私としたことがクドカンの新しいドラマが放映されているのを知らなかった!


⤴︎主題歌、✨️👏🏻(⸝⸝⸝⸝神∀神⸝⸝⸝⸝)👏🏻✨️



  ネトフリで一気に5話まで見た。

  やっぱり、いい。

  クドカン作品は良い!


  阿部サダヲ演じる昭和に生きる主人公であるウザいおっさんの小川一郎が、令和へタイムスリップして、そのギャップに戸惑いながら、ドタバタを広げる…という話しである。


  ハラスメントとか、コンプライアンスなんていう言葉のない時代だ。

  SNS時代の差別とか平等だという言葉だけがひとり歩きして、誰もが言いたいことを言えなくて、変な気遣いばかりをする様子を見て、一郎は"気持ち悪い"と言う。


  逆に令和から昭和に(意図的に)フェミニストである母親、向坂サカエとタイムスリップしてきた不登校児の中学生の向坂キヨシは、一郎の一人娘である不良の純子に一目惚れして、昭和に残りたいと言い出す。


  サカエは、昭和のあまりのテキトーや無自覚な差別発言のオンパレードにいちいち激怒するのだが、徐々にその緩さに息子が楽しく学校に通う様子もあり、自身も居心地の良さを感じていくのである。



  ハラスメント研修以来、私の職場でも、どう考えてもサボってるとしか思えない人が守られ、頑張っている人が加害者に仕立てあげられるという理不尽な構図に陥っている。


  ハラスメントを受けたとその人が思えば、それはハラスメントなのである、と資料には書かれていて私は戦慄したのであるが、ドラマの中でもそう言っている。


  道徳感とか倫理観の概念は崩れ、配慮は義務になる。

  なんだか変なの、と思っていても、自分が加害者になるのが怖くて誰も言えない。

  

  しかし、一郎は、こう思ってる。ということを正直に言う。

  やっぱりそれって、大事だなと思うのだ。

  違うと思う人も、間違っているという人もいるかもしれないけど、まずは伝えてみなければ相手がどう考えているかすらわからない。


  それは押し付けられてると感じる、とか、あなたは良くても私は嫌だと感じるとか、その"感じる"という部分を互いにぶつけ合うことをまずは許さなければ、合意形成には至れない。


  一郎が気持ち悪いと感じるのは、言いたいことが言えないのは、相手に対する信頼がないからであり、自身への保身のあまりに本来配慮するべきことが媚びになっているからなのだろう。


  それは、問題解決よりも、問題を起こさないことに重点を置く。新しい言葉は意味も目的もわからないまま、社会を独り歩きしているのだ。

    


  クドカン作品は、エンタメだ。

  特に終わりに毎回差し込まれるミュージカル風の部分は、ファンタジーだ。


  実際はそうはならないと思っても、本当はこうでありたい!と願わずにはいられない。


  くだらないのに泣ける。

  

  そして、個人的に毎回思うのは、クドカン作品の根本には、生と死というテーマがあるということだ。


  死という重いテーマを見ているものに押し付けることなく、サラッと突き付ける。

  くだらなく、テキトーに進む展開の中で、死というものが、そのギャップでリアルに感じられるのだ。


  5話では、一郎と純子が令和になる前に阪神・淡路大震災で死ぬ事が判明するのだが、それが今後どのような展開になって描かれるのか楽しみだ。


  あまちゃん以来の名作の予感である。