崖下に広がる流氷は、岸に残るものと沖へ流されたものに分かれている。
知床の流氷よりも密度は薄いが、ひとつひとつの氷が大きい。
氷の隙間にある青みがかった乳白色は、命の混沌さを含まないような神秘的な色だ。
陸に囲まれたオホーツク海は、外海の海水と混じり合うことがないため、塩分濃度の薄い氷が海上に発生する。
それは流氷となり、シベリアの冷たい風に吹かれながら南下し、より大きくなって北海道沿岸に辿り着く。
オジロワシが、青空を横切って行った。
写真を見返すと、海の中の空で影になった彼が、泳いでいた。
振り返ると背後には、いつくもの氷瀑が!
崖の上には小川がある。
夏にはそこから溢れた水がチョロチョロとしか流れない滝が、冬になるとこんな見事な氷瀑に変貌するそうだ。
数えなかったが、滝は五本以上あった。
海岸をスノーシューで辿りながら、右手には流氷、左手には氷瀑という素晴らしい景色を堪能する。
水が凍る瞬間のその過程を、この目では捉えられない。
いつも目で見て認知しているのは、切り取られた時間の断片でしかないと思い知らされる瞬間だ。
それはまるで連続したフィルム。
私は目の前に起こる出来事の切り取られた瞬間を連続再生して脳に記憶する。
言葉に邪魔されて、あるがままをあるがままに見ることができない部分で、物語を綴る。
流氷は、北方領土を抜け、根室までやってきたそうだ。
今年、彼らは太平洋まで旅を続けられるだろうか。
流氷が消え去ると、ようやく春の気配がする。
肌を指すような冷たい空気の中、それでも高くなった太陽が体の奥から熱を呼び覚ます。
光が命を躍動させる。
空から降り注ぎ、雪の白さに反射した光が、もう一度命に届く。
夏よりもずっと寒い。
なのに夏よりもずっと眩しい。
滝の氷に素手で触れると、表面は太陽の光に溶かされて滑らかな感触だった。
冷たいはずなのに、どうしてか暖かいんだ。