透明な氷の上にうっすらと雪が積もり、湾は大地に変貌する。
小魚たちは、空から自分たちを狙い続ける捕食者から、隠れるために氷の下に身を潜めるのだろうか。
小さな穴から糸を垂らして、私は何かを考えたり、考えなかったりして、ぼんやりとする。
風を遮るためのテントの中にいればそれは、家の中にいることと同じような閉塞感に包まれた。
目先に空けられた穴が、私と異世界を繋ぐトンネルのような暗闇に思えた。
目には見えない、自分の生きている場所とは全く違う世界を、手に伝わる竿の感触だけで探っているみたいで、釣りはいつもそこが面白い。
潮の揺らぎとは違う感覚が、浮きの動きを見る視覚と命の抵抗を感じる触角で伝わってくる。
釣り上げる!という言葉が思い浮かぶ前に腕が上がる感覚を無意識の作業という。
潮目が変わるタイミングのようなもので、立て続けに五匹ほど釣れたが、そのあとはぱったりと釣り糸は動かなくなった。
昨日は中潮。
潮汐表の上では、決して釣れない日ではない。
潮目と潮の満ち干きを事前に調べていても、その通りに釣れないことが命を循環させるのか。
銀色の鱗が規則正しく並び、光を反射させてキラキラと光る。
流線型の魚体が、なめらかに手のひらを滑り落ちる。
イワシやチカやワカサギは、群れになって泳ぐ。
美しい鱗は、光から自らを隠し、流線型の身体はヒラヒラと敵の動きをかわし、移動するプランクトンを追いかけて泳ぐ。
一方、カレイやカジカはゴツゴツした体で、泥を模したような斑模様だ。
砂泥の海底や岩場の影に身を隠し、迷い込んだ小魚を一人でじっと待っている。
生きているということは、命を奪うことだね。
私は手のひらの中で、逃れようと必死に身体をくねらせるチカから針を外し、急いでバケツに放り込んで、放置する。
瞬きもしない真ん丸の目が、私を恨むこともせず、宙を見据えていた。
仮に恨んでいたとしても、その言葉が私の心には届かないということに私は救われているのか。
それでも捕らえられたものの痛みをいちいち想像していては、身が持たないという事実が少しだけ悲しい。
いつも外道を放り投げたら、真っ先にやってくるオオワシもオジロワシもカラスも昨日は辺りにはいなかった。
まさか今日はここにはチカの群れがいないということを知っていたとでもいうのだろうか。