11月下旬に漬けた秋鮭の飯寿司は、今までで一番の出来である。
塩加減、甘さ、旨味、発酵具合、水の抜き加減。
どれを取っても、これ以上の味は考えられない。という具合の出来である。
他所様から頂く機会も多く、その中で毎年やっぱりこの人のやつが一番美味しいという飯寿司があるのだが、その味に徐々に近付きつつある。
しかし、美味しさというものは、やはり個人的趣向に基づいているため、私が美味しいと感じてるものが誰の口にでも合うわけではない。
もっと甘いものがいい人もいれば、もっとしょっぱい味がいい人もいて、もっと水っぽくて生臭いものが好きな人もいる。
どの人も味付けするときに、大体は、酒、みりん、少しの砂糖は使う。
特に酒はケチるな!と言われるぐらい、日本酒の役割は大きい気がする。
しかし、なれずしの一種である飯寿司の基本的な味は、以前食べた滋賀県の郷土料理の鮒寿司であるように思う。
これを初めて食べたときは、衝撃だった。
柔らかな酸味に噛むほどに優しい甘味が広がり、なんて奥行きのある味なのだろうと感動した。
それに比べると、自分が食べてきた飯寿司が、あまりにも人工的な味付けで、自然の発酵食品からかけ離れているのかと愕然とした。
ここらで作る飯寿司とは違い、調味料はほぼ使わないという。
塩漬けしたニゴロブナをまた塩抜きし、その残った塩とご飯だけで漬ける。
あの深い味わいは、その土地の気候と長い時間が作るのだろう。
飯寿司は酒と麹を使って発酵を早めるから、だいたい45日ぐらいで食べられるが、鮒寿司は一年ほどもかかるという。
秋鮭の飯寿司は確かに美味しい。
しかしあれは、日本酒と麹から与えられた旨さだ。
鮭の美味しさは残念ながらそれらの旨味にかき消されていると言っても過言ではない。
一方、鮒寿司は、純粋な乳酸発酵による旨味だ。
秋鮭の飯寿司は、それはそれでご馳走とも言えるものだが、鮒寿司のあの濃厚な宝石のような美味さには敵わないかもしれない…とちょっと悔しい。
が、しかし。
なんで大人になると、こういったものの美味さがわかるようになるのか。
ご飯のおかずにはならないが、これだけで延々と食べ続けられてしまう。危険な食べ物である。