午前3時から正午まで、ほぼ休みなくロッドを振り続けていたのに、一匹も釣れなかったことが悔しく、午後からずっとひとり、反省会をしていた。
下手くそなので、最初は常連さんが集う河口の近くから離れて釣っていたのだが、何せ皆さんだいたい師匠の友達であり、第一この場所は師匠の庭だから、必然的に私は放っておかれないのである。
まず夜明け付近の一発目のかかりで、ブチン!とラインを切ってしまった。
せっかくの仕掛けがおじゃんである。(もっと悪いのは、海のゴミを増やすことにもなることだ。)
一見さんたちがだいたい退けたところで、一番魚影の濃い場所に師匠の一番の仲良しのおじさんに誘われ、そこでロッドを振るも、飽き(なんてやつだ!)と、疲れと、緊張で、まっすぐに振れなくなり、隣近所の方のラインに何度も絡ませてしまうことになった。
師匠は私を怒りながらも、小声では隣のおじさんの空気が読めないせいにしていた。
師匠にしたら、どう考えても私が下手くそなのだから、上級者が初心者を慮るべきだと考えるのである。
それから仲良しのおじさんが、丁寧に基本からロッドの持ち方や振り方を教えてくれて、やっと百発百中、自分の落としたい場所へ針を投げ込むことができるようになったのであるのだが。
何度もすみません。とか、ごめんなさい。と謝り、師匠には怒られ、おじさんには何度も指導され、そして寝不足のまま、何時間も釣れないのにただただロッドを振り続け、私は一体、何をしているのだろう?という疑問と共に、情けないやら、恥ずかしいやら、申し訳ないやら、もう二度とアキアジ釣りはやらない。とすら、一瞬思ってしまったほどである。
けれどもよくよく考えたら、無償でこんなにも見ず知らずのみなさんにお世話をしてもらい、教えてまでくださることに、感謝の気持ちは沸き起こっても、そこに情けないやら申し訳ないなんて気持ちは、返って失礼にあたることだ。
私はここにいるみなさんの弟子である。
そして、そのみなさんも、かつては誰かの弟子であったのだ。
隣で三匹ほど釣り上げていたお兄さんも、三年前はひどく下手くそだったんだと、師匠は笑った。
けれどもここで知り合った師匠の仲間たちに教えてもらって、今では師匠たちに引けを取らないぐらい上達している。
ここは砂浜と違って、大きな岩がゴロゴロしている。
針にかかったとしても、陸(おか)に上げるまでが至難の業だ。
アキアジは左右に走るから、隣の人のラインに絡みやすいし、ラインは岩に引っかかって切れやすい。
更に岩の間を縫って、自分の元へ引き寄せるまでに腕の力が必要だった。
私が申し訳なさ過ぎて、人気のない場所へ行こうとすると、師匠も師匠のお友達も怒る。
そんなんじゃ、上手くならないんだ!
迷惑かけるとか、そんなことは気にするんじゃない。
ここまでお膳立てされて、釣れないことがもはやプレッシャーである。
しかし帰ってきてから師匠にロッドを見てもらうと、トップガイドのリングが取れており、どうやらそのせいでラインが切れてしまうことが判明した。
更にPEラインが度重なる摩擦で摩耗しているせいもあったようだ。
やっと仕掛けのことを覚えたばかりなのに、道具の扱いや修理のことも考えねばならず、段々とんでもない趣味に手を出してしまったんじゃないかと半分後悔しているが、今さらここまで来て、引くことができない。
釣りバカだった今は亡き父親の憎き趣味をまさかここに来て、自分が引き継ぐことになろうとは。
私の母親も呆れ顔である。
しかし普段は女ばかりの職場にいるから、おじさんばかりとはいえ、男の世界に踏み入るというのは、とても勉強になる。
女同士よりも仲間意識が強く、そしてお互いに信頼し合っていたら絆が堅い。
本州から毎年やってくる師匠のお友達はこう言った。
秋鮭は向こうでも釣れるけど、あっちはみんな余所者には冷たい。
こんなふうに俺を受け入れてくれたのは、ここの人たちだけだ。
俺は、釣りというよりも、ここの仲間たちに会いたくて毎年来てるんだよ。
その言葉を師匠も師匠の友達も、照れくさそうに、でもとても嬉しそうに聞いていた。
その様子に私はアキアジの遡上の風景と同じぐらいに、胸にグッときて、男っていいな。女同士にはない美しさがあるよな。と、アホみたいだけど、思わず涙ぐんでしまうのだった。
ほぼ毎日、夜中や早朝に集合して、どこに飲みに行くわけでもなく、ただ海で釣りをするだけの仲間たち。
強靭な肉体と恐るべき体力、そして罪悪感など微塵も持たない残酷な狩猟本能。
そして下手くそな私にも厳しいながら優しく接してくれる人達。
私は釣りが好きなのかな。
それとも、釣りをする人達が好きなのか。
釣りを愛する人は、ほとんどが釣り場のこともとても大事にしている。
だけど釣りをしない人には時折こう言われる。おまえたちみたいなのがアキアジとかいろんな魚をいなくさせてるんだろ。と。
いやいや。釣りじゃなく、底引き網だろ。と内心、むかっ!とくるのだが、幼い頃に釣りのせいで、父親に遊園地やデパートに連れて行ってもらえなかった私には、釣りが健全な遊びだと思えず
むしろ、憎き遊び方であったのだ。
でも、今はわかるよ。お父さん。
狂ったように海に行きたがる、この気持ち。
嫌がる私に無理やり見せたがったあの波間を真っ黒に染める秋の海。
故郷を誇りに思うようなこの気持ちは、自分が自分であることの確認作業でもあるのだ。
なるほど。
だから、釣りにまつわるあらゆる出来事になんだか泣ける気持ちになるのか。
