世界遺産 | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

  山をひとつ越えただけで、空は青くなった。


  峠の頂上から見下ろす羅臼の街は、真っ白になって眼下から消え去る。


  知床連山を境に斜里と羅臼という町が分かれている。


  羅臼の方はホテルや施設などが軒並み古く、見つけたオシャレそうなカフェはすでに閉店していた。


  羅臼のネイチャーセンターは辛うじて、少し新しくはあった。




  知床横断道路を抜けて、斜里町ウトロに出る。

  知床のネイチャーセンターは三年前とはがらりと様子が変わっていた。


  北海道ならではのダサいお土産物はまったくなくなり、代わりにノースフェイスやフェールラーベンなどの高級アウトドアウェアのショップが入っていた。


  レンタルサイクルは、なんだかお洒落なデザインの電動自転車だ。


  イートインにはラーメンなどない。

  

  カウンターに置かれたメロンパンやドーナツは、一個400円もしていて、思わず二度見した。


  小さなカップに上品に盛り付けられたソフトクリームは、今までに味わったことのない滑らかさで、甘さがほとんどない。


  みーちゃんは、この味は札幌に夏にだけ現れる大通りのソフトクリーム屋さんの味そっくりだと言った。


  メロンパンやドーナツのラベルを見ると、製造者が札幌円山なんとか、と書いてある。


  4Dのスクリーンが備えられた展示室には、知床の自然が映し出されているらしい。

  入ろうと思ったら、有料だったのでやめた。


  街並みが、羅臼側とはまったく違っている。

  新しいラーメン屋やカフェやホテルが次々と出来ている。


  駐車場にはレンタカーが溢れていた。


  斜里では世界遺産登録の恩恵を存分に受けているのだろう。


  そしてありのままの自然はもはや、ビジネスのためにあり、それを充分に楽しめるのは、お金持ちというわけだ。


  しかし、そこにありつくようにして、私も安全なトレッキングや登山を楽しめるのだろう。


  師匠のように着の身着のままで、山の中に入る技術と経験が私にはない。


  師匠はこの知床の山で育ったから、どこにどんな川があり、どんな魚や山菜があるのかを熟知していた。


  けれども昨今では、環境保護のために山の遊びの範囲は狭められていて、鹿や魚を獲るのも、山菜を採取するのも昔のようにはいかないんだと言っていた。


  自然を楽しむことは、もはや贅沢な事柄になった。


  それは地元の人だけが密かに享受していたことを観光客に売り渡したからだ。


  自分の街では手に入れられない便利さや珍しさと引き換えにしたからとも言える。


  知られた時点でもうここは、秘境ではない。


  


  古びた小さな港は、魚影がなかった。


  何度も巻き上げたリールの軽さがせつない。


  イカは、気まぐれに港に迷い込んでくるから、釣れるのはもはや運だ。


  私たちは濃厚だった自然の恩恵を存分に味わう時を経て、食い尽くされていく時代の過程に生きているのだろう。



  いちご狩りの農園に辿り着いたのは夕方だった。

  粒が大きくて赤いいちごはもう、ほとんどなかった。


  屋内で人が密集する場所を避けて、人は空の下で楽しめるところに集まる。


  欲望のはけ口を求めて、私もさまよっていた。


  自然を食い尽くす前に、詰め込まれた知識が理性を暴走させて、人々は動物としての衝動を抑え込んでいた。


  コロナ騒動で出生率が下がるのは、文明に生きるしかない人間が、先行きに不安を感じるからだろう。


  それも大きな視点で見れば、自然淘汰なのだろうか。


  前に自然が大好きな息子の担任が、参観日のときに人間は増えた方がいいか、それとも増えない方がいいかと聞いたことを思い出した。


  ほとんどの人が増えた方がいいと答えたのに、担任は最後に自分は増えない方がいい。といつものようににこやかではあったが、少し冷たい目で言った。


  それは人間である自分に自信がないということなのか、単に自然が好きだからなのかわからないが、違う考え方があるからこそ、こうやって続いても来れたんだとその時の私は思っただけだった。