雪花の虎 | 想像と創造の毎日

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  敬愛する東村アキコ先生が、初めてチャレンジした歴史物の漫画が最終巻を迎えた。


  私は記憶力が悪いので、学生の頃は歴史の勉強はすごぶる苦手だったか、漫画のストーリーが面白いとその時代背景や人物のことを調べたくなった。


  雪花の虎は、上杉謙信は女だったのではないか?というアキコ先生の妄想からインスピレーションを得てできたお話だ。


  アキコ先生は、自身は二度の離婚を経て、今は自分の力で生きている方だけれど、独身のアシスタントに恋愛や結婚を薦める。

  男と張り合っているのかと思いきや、ご自身は女であることを誇りに思っていることをこの漫画を読んで私は感じた。


  アキコ先生が描く謙信は、戦が好きでありながら、女としての弱さに苦悩していて、時折、戦と政に疲れると、惚れた男の元に逃げてしまう。


  謙信を幼い頃から支える人物に僧侶である宗謙がいるのだが、男の元に逃げていた謙信を追い、こう言う。



  


  宗謙に言わせたセリフは、アキコ先生が自身に言っている言葉であるのだと私は感じて、思わず目頭が熱くなった。


  男と女の社会での昔からの役割は、その元々持った性質を活かしたものであったのだと思う。


  人間…いや、あらゆる動物としての生きる目的が種の保存だと捉えれば、子育てこそが生命が生きる意味において、とても重要だ。


  それぞれが自分の存在を肯定することは、未来においても、自身(だけでなく種として)の遺伝子を継続させることと同義語であると思う。


  男は外に出て働き、女は家庭やその地域の安全を守る。

  これが一番、効率的であったのだ。



  近頃は、女も平等に社会に進出するために、保育料は無料化されたりしている。

  送迎の顔ぶれもお母さんの数と同様にお父さんになる割合も増えてきた。


  昔のように威厳をふりかざす男は皆無となり、まるでお母さんのように子供の世話をあれこれとやく姿に、いい時代になったなあとは到底思えないのは、私が古い感覚を捨てられないからなのかとも思うことがある。


  知り合いのある保育士が、こう言った。

「子供は、三歳までにまず形を作らないとダメなんだよ。」


  私はその言葉に強烈な違和感を感じたのだった。


  まだ言葉もおぼつかず、自分の存在すら曖昧な乳児や幼児に、徹底的に集団生活のルールを叩き込むことは、人間としての尊厳を奪うことになりかねないと思うからだ。


  乳児は、自分が何をしても自分がこの世に存在していてもいいことを理由もなにもなく、感覚で覚えさせることが大事なんじゃないかと思う。


  だから本当に叱らなくてはならないことがあるとすれば、自分や他人の身体に傷をつける行為だけだ。


  あのまだ何にも定義付けられることのない小さな脳に、それ以外のことを植え付けるとどうなるだろう。


  自分の存在は、社会や他人のためにあることが前提になって、次第に揺らいで行くような気がした。


  アキコ先生は、自分が女としての本来の役割を担いながら、外で仕事をしてきたことが本当に大変なことだったと認識しているような気がする。


  けれども、自分が自分の夢のために家庭を守ることだけでは生きていけなかったことが、自分の捨てられない欲望であったことを承知の上なのだろう。


  アキコ先生の描く謙信は、自分から領地を奪いに行くことはなく、戦での死者をなるべく減らそうとしている。

  それは、女である謙信だからこそ、できたことなのだ。

  そしてそれは、謙信が社会における女としては、例外的な役割を持っていたということでもあると思う。


  アキコ先生が、女としての謙信を描きたかったのはなぜなのか。


  ひとつの歴史を通して、男と女であることをまず互いに尊重していくことが、平和への願いを叶えるための近道なんじゃないかとご自身で理解していったのではないか。


  最後の方で、山本勘助を殺され戦意を失う信玄を謙信が愚弄する場面がある。


  男は悲しい生き物である。

  女は男に守られることで、その性の幸福を享受できるのかもしれない。


  男の真似をする自分の悲しさを振り切るように放った謙信のセリフに泣けた。