書かなきゃいけないと思いながら、ハマっているはっさくをひたすら剥いて皿に山にしたり、食品庫で見つけた黒豆で、わざわざ黒飯を炊いたりしていた。
黒飯のカロリーを調べていたら、北海道郷土料理と出てきた。
これが、全国区の食べ物ではないことに驚く。
赤飯が、お祝いの席での食べ物ならば、黒飯は、悲しみの席の食べ物と言っていいだろうか。
法事のあとに親族に食事を振る舞ったあとに、お土産(?)として、お弁当と黒飯を渡されるのである。
こちらの赤飯は甘納豆を使うから甘いのだが、黒飯は味付けされていない黒豆を使うから甘くはない。
最近になって甘い赤飯も好きになったのだが、昔は甘くない黒飯の方が好きだった。
法事でもらうときのようにわざわざパックに詰めてみた。
親に見られたら、縁起が悪いと怒られそうだ。
今回買ったはっさくには、昔ながらの鳥のカッターがついてきた。
前に買ったはっさくは、皮が濃いオレンジ色で、薄皮が薄くて口に残らなかったのに、今回のものは、薄皮が固くて飲み込めない。
オレンジカットで食べられないから、いちいち手で剥かなければならなかった。
これが、昔食べてたはっさくで、この間食べたのは、改良されたものだったのか?と調べても、その真相を知ることができなかった。
この前のはっさくよりも、甘みよりも苦味と酸味が更に強い。
めんどくさいし、粒が固くて、ジューシーではないのだけれど、この昔ながらのはっさくの方が癖になる味と食感なのだ。
息子が食べないから、一人で二個も食べてしまい、その罪悪感を払拭するために筋トレやダンスをした。
それから毎日のノルマである本を読みながらお風呂に一時間以上入る。
上は前に読み終わったのだが、無知なため、言葉がいちいち難しく(たぶん普通の人には難しくない)、なかなか先に進まないのだ。
イデオロギーという言葉が何回も出てくるのだかど、イデオロギーがいまいちピンと来ない。
観念形態、思想、と頭の中で言い換えても、その文章に当て嵌めると、よくわからなくなるから、何度もその前後を読まなければならなかった。
観念形態や思想では言い換えられない意味を含むから、日本語では置き換えられなイデオロギーという言葉に内包される意味は、日本人には元々馴染みがないのかとも思う。
日本人は、昔からひとつの民族(よく調べれば混ざりあってもいるだろうが)、ひとつの文化であるから、その根本的な思想について、考えることがあまりなかったのかもしれない。
なんてことを文集に書こうと思ったのだが、400字では足りなさそうだ。
だいたいこれをお祝いの言葉にどうつなげればいいのか。
そうこうしているうちにまた、文集の言葉が書けなくなるのである。
いっそのこと、はっさくのことでも書こうか。
いやいや。お祝いなんだから、赤飯のことでもいいかもしれない。
赤飯を通して、これから日本を担っていく若者たちに、文化やアイデンティティを大事にして欲しいという考えを押し付けてしまいそうだが。

