わがままという才能 | 想像と創造の毎日

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  保育園から幼なじみであり、親友でもある友人に久しぶりに会った。

  これだけ付き合いが長く、思春期という一番心が敏感なときに濃厚な時間を過ごした友人というものは、心を許している。というより、心を許しているのかどうかなんて考える余地もないほど、身近に感じる。

  そのことは、相手の短所と思える部分さえ、その辺に落ちている石ころにちょっとつまづいた。ぐらいに些細で、自然なことに思わせた。

  ドライブ中に寄ったガソリンスタンドで、入ろうと思った場所がちょうど給油中で、隣に移動するように店員に促された友人は、給油口が反対だから、移動したくないと突っぱねた。

  しかし店員さんは、前の人はまだ時間がかかるので、すみませんが移動してください。と、再度友人を促す。

  こともあろうか友人は、ちっ!と舌打ちしてから、小声で、めんどくせーな。と言い放った。

  助手席の私はオロオロしながら店員さんに目配せで謝る。

  久しぶりに会ったが、やっぱりちっとも、変わっちゃいない。と私は心で思い、声を上げて笑った。
 
  この人は、子供のときから、こうである。
  先生にも年上の人にも、形式的に敬語を使ったとしても、自分が気に入らなければ無視をするし、暴言も吐く。しかし気に入れば、まるで同年代の親友のように気安く振る舞った。

  友人は、例えばどこかで子供が大泣きしても、私はめんこくねーな!と、舌打ちするんだ。と悪びれもせずに言った。

  さらに自分の友達の子供の泣き声は気にならないのに、知らない人の子供の泣き声って、なんで、あんなに耳触りなんだろうね?と付け加える。

  私が、息子の話で、今の子は、我慢ができないのか、私が迎えの時間をたった五分遅れるだけで、電話が来る。そして、運転中だから出れないのに、それにもイライラして、すぐ不機嫌になるんだと言ったら、友人はとても理解出来ると言って、深く頷いた。

  それはね?わがままなんだ。
  私もね、些細なことにもまったく我慢ができないんだよ。
  私の場合は、迎えに行ったときに息子がいつもいるべき場所からたった5m離れてただけで、イライラして、おまえ!ちゃんとあそこで待ってろや!って、怒るからね。と言った。

  昔から友人は、自分のわがままさを理解しながら、まったくそれを直す気がなく、むしろ堂々とそのわがままさを撒き散らしていた。

  ちょっと大人しい男子をパシリにして、たまに断られると、おまえのくせに断ってんじゃねえよ!と怒鳴りつけてもいた。

  けれども、なぜかその男の子は、友人に懐いているようにも私には見えたのだった。
  普段は目立たないのだけど、友人のいじり方にまったく嫌味がないせいもあるのだろう。
  そして何より友人は、情に厚い。

  とことん仲が良ければ、面倒見がいいし、いつまでも細かいことにこだわらない。

  どんなに口が悪くてわがままでも好かれることが多いのは、その頭の回転の速さと反応の俊敏さ、そして、物事を見る角度が他の人とは違うからだった。

  私がいつも肝心なところで優柔不断になるのを、友人はいつも(本気で)怒るけれど、あんたはそういうところあるよね!と、すぐに諦めてくれた。

  私は散々、友人のわがままさに振り回されるけれど、まるで自分が自ら進んで振り回されることを楽しんでさえいる気がした。

  優しいからとか、いい人だからとか、そういうことで友人を選んでいない自分は、時々、その自分とは真逆に思える考え方や行動を取る人間にひどく惹かれる。

  友人のまっすぐにわがままであることに美しさすら、感じていた。

  わがままな人間…というより、わがままさが他人に迷惑をかけると認めながらも、それを出すことを厭わない人間というのは、自分に正直でいることを我慢できない、我慢する必要がないと認識している人種のことを差すのだと思う。

  それは私には欠点だとは到底思えず、とても魅力的な部分だとすら思えた。
  
↑サメガレイの煮付け。
    サメガレイは、初めて食べたが、これはもはや、肉だろうと思う。
    脂がよく乗っていて、ゼラチン質の部分が厚い。

  とても美味しいのに、値段が安い。
  やはり魚は、産地で捕れるものを旬に食べるのが最高である。
  値段の高さではない。