脈拍 | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

  体調が悪くなってから、脈拍が妙に速い。
  この1ヶ月、安静時でも90以上ある。
  どうりで、たいして動きもしないで食べているのに太らないわけだ。

  というか、具合が悪いくせに、寝ている以外は落ち着きなく、チョロチョロしている自分に気が付いた。

  なので、リラックスするという私のものすごく苦手な行為について、意識を向けている。

  トレーニングはお休みして、ストレッチや呼吸法、マッサージなどを寝る前には重点的に行った。



  盲点だったのだ。
  腹筋、太もも、肩甲骨はよく鍛えていたのだが、足の指は眼中になかった。

  常に足先が冷えて、靴下を履いて寝たりもしていたのだが、冷たさよりも、違和感に耐えれないらしく、寝ている間に脱ぎ捨てていた。

  足の指の間に手の指を入れるだけで、痛い!

  思うように前後に曲がらない。

  こんなところに弱点があったのか!と、いささか興奮にも似た気持ちで、足の指や裏をマッサージしながら、iPadで美味しんぼを眺めている。

  ふと、血圧計を出して、脈拍を測ってみた。
  80だった。 
  ここ最近では、一番低い数値を叩き出した。

  ちなみに夜は、足が一番熱くて、布団から足先を出してしまうほどだった。

  人間の身体には、筋膜というものがあり、表層から深層まで、全身に張り巡らされているそうだ。
  骨や内臓を包み込んで、支えている。

  筋膜の一部分でもよじれると、それは全体に影響を及ぼすのだそうだ。

  筋膜は、弾力がある反面、動かさな過ぎても、動かし過ぎても、硬くなったり、よじれたりするのだという。

  私の足の筋膜の不調が、全身に及んでいた可能性がなくはない。

  考えてみれば、足は常に大地と接してる部分だ。

  地上に生きる動物たちには、ほとんど、足がある。

  地面を蹴って歩くことは、動物の生きる意思そのものであると思いついた。

  足を一歩、前に踏み出そうという思いは、自分の意思がないとできない。

  その意思は、どこから来るのだろうと、まだ赤い目を閉じながら考えてみる。

  私に病をもたらしているウイルスに、毎日、話しかけるという妙な習慣がついた。

  コイツは目には見えないが、身体の至ることに日替わりで痛みをもたらし、私にその存在を主張してきた。

  しかし最近、めっきりその存在が遠くなった気がする。

  それを私の脈拍の遅さが証明していた。

  鼓動を上げて、戦っていたんだな。

  私というちっぽけな宇宙である肉体は、内側に向かってどこまでも果てしない。