目が、鬼滅の刃の炭治郎になったからである(鬼滅の刃、知らんけど)。
普段、わりと健康な方であるので、少しでも身体に不調をきたすと、この世の終わりのように元気がなくなる。
基本的にメンタルは弱い。
待つのが嫌いなので、早朝に出た。
一時間早起きするだけで、外はびっくりするほど寒かった。
いつもならそれが嬉しいのに、それだけで気が滅入る。
待合室では、ひっきりなしに咳をしていたり、歩くのがおぼつかないお年寄りの方がたくさんいた。
私よりもずっと辛そうだ。
それなのに、席が狭くないか、荷物は置けるかと気遣ってくれる人もいて、辛そうなのに人を思いやれるその感覚にこれだけで元気がない自分が恥ずかしくなった。
眼科のお医者さんは、せかせかしていて、物言いがキツい人だった。
看護師さんをあまりにも急かすので、私に指す目薬の手元が狂い、ボタボタと何滴も顔の上を落ちてくる。
しまいには、口に流れてきた。
感染症かもしれないからと隔離され、それからなんやかんやとされるがままに検査を受けた。
このお医者さんは、私の嫌いなタイプだなあとぼんやり思う。
私についた看護師さんは、人の感情に振り回されるタイプなのだろう。
お医者さんに咎められないようにという気持ちが先立つのか、患者の扱いがぞんざいだ。
しかしもう一人いた男の看護師さんは、このお医者さんに落ち着いて、はっきりとものを言っている。
すると、このお医者さんは私についている看護師さんに対するよりも、この男の人にはなぜか下手に出ていた。
出張医だから、飛行機の時間までに患者をさばかなくてはいけないのだろう。
焦る気持ちが、自分の態度でさらにモタモタする看護師に苛立ちとしてぶつけているのか。
うちの娘だったら、やっぱりモタモタするだろうなとおかしくなった。
お医者さんはとても頭がいいと思うのだけど、それでもやっぱり人間なんだなあと感慨深い。
病気に対する知識はあっても、自分がどうやって接すれば、看護師さんの動きがスムーズになるかなんて考えもしない人もいるんだ。
そう考えるとお医者さんも自分と同じで、完璧じゃない人間なのだと思って安心し、好きじゃないと始めは思ったけれど、そんなに嫌いではない気もしてきたのだった。
アデノウイルスは検出されなかったが、検査の精度は7割だから、出ない場合もある。しかし、感染症と考えていい。
とりあえず、炎症を抑える目薬を差して、治まったら、眼圧の検査を受けなさいと言われた。
やっぱりなあと思った。視野はそれほど狭くはなっていないが、目の周囲が痛くなってきたから眼圧が高いと自分でも思っていたからだ。
目薬を何度か差すと、痛みは和らいできた。
同級生がまたひとり亡くなったという知らせから、それぞれの友人がみんなどこかしら身体の不調を訴えていて、もう若くはないのだなあという話題になる。
やっぱり人は、いつ死ぬかわからない。
だから、好きなことを好きなだけしなくちゃならないんだ。
そう決意を新たにしたのに、しばらく外をうろちょろしないようにと言われてちょっとイライラした。
しかし釣りに行く元気はまだない。
食欲がないから、料理も最近はいつも以上に適当だった。
何に関してもやる気がなくて、散らかっているリビングを眺めてはぼーっとする。
そうか。
やる気が出ないときの過ごし方について、考えればいいのか。
生きる意欲が湧かないときは、別に無理やり意欲を持とうとしなくてもいいような気がした。
元気になるかもしれない。もう、ならないかもしれない。
それでも震える早朝の寒さで、凍りついた景色は美しかったのだ。
そう感じられる気持ちだけは残っている。
なんとなく、生きている。
病気でも、生きている。
役立たずでも、生きてていいよ。
そう言ってくれる社会がやっぱり、いいなと、ただ思う。
