早朝の涼しい霧雨の景色は、山をひとつ、ひとつ、と越えていくごとに、アスファルトを焦がすように照り返す、夏らしい夏へと変貌を遂げる。
セミの大合唱が、車中の音楽をかき消す。
刈り取られた小麦の黄金色の藁のロール。
デントコーンの黒い穂。
水田の濃い緑。
太陽はある意味、公平に見えた。
海の恵みがない険しい山に囲まれた場所には、存分に昼間の光を降り注ぎ、米や麦や豆をのびのびと育てた。
4時間、北に車を走らせるだけで、別世界だ。
真冬のあの、大量の雪の景色が嘘みたいに、夏はどこよりも夏らしかった。
こんなにも四季がはっきりと移り変わる土地を私はあまり知らない。
前の日は、夜中の二時まで、居酒屋で飲んでいたと娘が言って、私は少しだけ絶句してしまったのだった。
もう駅前では、半分ぐらいの人達はマスクをしていない。
街は突然、暑くなり、人々を今に閉じ込めてしまったのだと思った。
真夏の今が、とにかく苦しい。
他人の目線よりも、自分の健全な呼吸の仕方の方が大事だ。
とにかく、暑かった。
朦朧とする意識の中で、無意識にマスクを顎の下へとずらした。
テレビやニュースを見なければ、街はいつもと変わらないように見える。
若い子たちは夜の街に戻り、少し歳を取った人は、いつもは見向きもしないような田舎街に来る。
いつもは私の街の閑散としている海岸に、内地ナンバーの車が大量に駐車してあり、そばにはカラフルなテントが立ち並ぶ。
結局、そういうことなのだ。
人が、人の欲望を止めることなどできない。
そんなことができていればとっくに、世の中は誰も傷付けることのない、同じ顔と脳みそを持った遺伝子だけが生き残り、そしてもっと早くに絶滅していたに違いないと思えるのだ。
何をしているのだろうな。
と、マスクをぶら下げながら、ふと思う。
ただ今できている仕事と家事と趣味と人付き合いに邁進しているだけだ。
自分の意思では変えられない人々の不安も、希望も、探そうとすればどちらも、同じように探すことができるような気もしていた。
死なないように気を付けると生きていることは疎かになり、生きたいことばかりを考えると死ぬことは最悪の出来事になった。
常識という社会に生きる人間を装いながら、思考という膜を取り払えばそこには、自然を貪る動物がいる。
生きるということは、抗うことだった。
熊も、鹿も、鳥も、木も、草も。
死を思う思考が、生きるということに絶望を作り出してしまったのが、大脳皮質なんだと思う。
生命というものは、死せる何かを取り込んで、生きている。
怯え続けて、欲望を排除した。
死を拒絶するからなおさら、死から逃れられなくなったあの日々。
自分を傷付けるものをいつも探しながら、疑ってばかりいた。
死を遠ざけたいがあまりに、生を手放そうとしていたことにも気付かず。
娘が、片方の耳からマスクをぶら下げている。
マスクは、大量の汗を吸って機能しなくなっている。
息苦しいんだ。
耳の付け根が、痒いんだ。
トイレットペーパーとサランラップの在庫が切れることと同じ頻度で、マスクの残り枚数が気になる新しい習慣。
苦々しく思いながら、やがて慣れていくのだろうか。
それとも、その夏に身に付けるときの、あまりの不快さに、徐々に廃れて行くのだろうか。
服を身に付けはじめたときも、こんな気持ちでしたか?と、大昔の人達に尋ねたくなり、なんだか笑える。
ブラジャーを初めて身に付けた思春期の頃の。悔しいような、辱められたような、あの複雑な心境にも似ている。
バカバカしいと思うことに、従順でいるふりをするのが、社会という宗教だ。
空の青を映し出す海の底に息づく命をまたどうやって奪いに行こうか。
鮭がもうすぐ大海から川を目指して来る。
傷だらけの背鰭と、尾鰭。
真っ黒に染まる河口で、選別される命。
そんなに美しくない海岸線だ。
ぬるい潮風が、生臭い。
それにしても、暑い。
釣った魚の死体は早急に腐る。
見えない命が熱の力を借りて、死を分解する過程だ。
