襟元に見つけた小さなピンバッジは、フロントグリルと同じデザインをしていて、たしかに天使の羽のようにも、悪魔の羽のようにも見えた。
僕たちは今や、車を売るだけでなく、ローンやら、保険やらの手配までしていて、もはや何屋さんなのか、よくわからなくなるんですよ。と笑ったその顔は確かに人が良さそうだ。
少し前に家族がキャンプに行きたいと言ったから、僕は何も知識がないままで友人に道具を一式借りて行ったんですけど、不器用なものだから、真っ暗になるまでテントを立てられなくて、見かねた周りの人に手伝ってもらったんですね。嫁にはだいぶドヤされました。
彼の背中越しに見える鏡の前の自分といえば、腕を前で組んだ挙句に顎を必要以上に上げていて偉そうだ。
交渉の場面において、少しでも自分が優位に立ちたいと思う気持ちがまるで透けて見えるかのように。
去り際にバッグミラーをふと眺めると、彼は私が見えなくなるまで腰を折って、頭を下げ続けていた。きっと、家庭でもそうなのだろうか。サラリーマンの悲哀を見た気がして、なんだか胸が痛い。
先日、営業に来た若い男の子が、仕事中に急に頭が痛いと言ってうずくまったときにふと、アルコールの匂いがした。
彼の同僚の話では、彼は職場の飲み会に一切参加しないと聞いていたから、お酒が飲めないのだとばかり思っていたから驚いた。
しかしどうやら、休日には昼間から一人で家でお酒を飲んでいるらしかった。その日も二日酔いの後遺症だったんじゃないかと同僚が私に耳打ちした。
お酒が好きなのに飲み会に参加しないのは、お酒で失敗した経験があるからじゃないのか。と同僚が詮索する。
確かにそれはあるかもしれない。
それでもそのことを自分で自覚しているのなら、無理に周りが飲み会になど、誘うべきではないだろう。
無駄にその子も周りも傷つく可能性を増やすことはない。
彼はコミュニケーション能力に長けている。
気遣いも素晴らしく、あらゆる面で器用なので、営業成績も上々だ。
それでもどこか、他人には伺いしれないストレスやプレッシャーはあるのだろうか。
たった一人で、次の日の体調まで考えられないぐらいお酒を飲むことが、それを忘れる彼の唯一の癒しであるとしたら、それがいつか積もり積もって、心身に変調をきたすのではないかと他人事ながら心配になった。
男の人は大変だ。外に出て、どれだけ仲間同士で仲良くしているように見えても、本音をさらけ出して、感情を共有することが下手くそに見える時がある。
男だったら泣くな!と言われて育ってきた性だ。
簡単に自分の弱みを見せることは、相手に欠点を晒すことになる。
男が一歩外に出れば、七人の敵がいるとか聞いたことがあるけど、その敵はきっと彼らの内側にあるのだとも思った。
女が簡単に出来ることが、彼らには出来ないのだ。
それが誤解を生んで、彼らをますます孤独にしていく。
言葉が及ばない領域に、彼らの限りないやさしさを見つけたいと思った。
正直に言葉にすれば傷つけてしまう。きっとそんなことを思って、口をつぐむのだ。
だから女は自分の機嫌は自分で取らなければならない。
海のような荒ぶる波の日を、常に雲や雨や雷の驚異に晒されている彼らに沈めてもらおうと願ってはならない。
女は海かもしれない。
男が空なのかもしれない。
決して混じり合うことのない領域で、海は空の色だけを忠実に映し出している。
海が空に温められて蒸発した水分を、空が分け隔てなく大地に降り注げるように。
眩しく、その青さを見上げていればいい。
決して真似することのできない力に対抗することはないのだ。
尊敬と服従は等しくないのだから。
