奥さんは年相応の外見で、美魔女というわけでもない。
「いや、すごいな。
この若い芸人さんは、いい男…
なんだろうか。」
と私が言うと、息子は、
「いい男に決まってんだろ。」
と、さも私の疑問が、愚問だとでも言いたげに断言した。
息子は、アイドルに全然興味がない。
小学生のときには、自分は吉田沙保里さんみたいな人が好きだと言っていた。
彼女の屈託のない笑顔とストイックさが好きだったらしい。
周りの男子がAKBやら、アニメの女の子キャラやらに夢中になっているのをどこかバカにしたような態度で見ていた。
どこがいいのか、わからん。
可愛いだけで、中身の見えない女の子に夢中になれるのが、俺には理解できない。と。
確かに息子が好きになった子は、そんなに美人ではなかった。周りに流されない一本筋が通った考え方を持つ、だけど、心の広いような子だった気がする。
最近、毎日誰かと電話で話しているが、彼女か?と聞くと、違う。という。
今の彼女とは何があったわけでもないが、どうやら疎遠なようだ。
男友達と遊ぶことで忙しいのだろう。
本当は息子が幼稚園のときからずっと片思いしていて、去年振られた子のことを私は忘れられないんじゃないかと思っている。
私もその子のことをよく知っているが、こんな表現は稚拙だが、本当に性格のいい子だったのだ。
美人ではないけど、いつもニコニコしていて、穏やかなのに物事を見る目が冷静だった。
思春期の女子たちのヒエラルキーに惑わされず、いじめられる子をいつも匿うような正義感の強い女の子だった。
息子はよく彼女の話をした。
彼女が何を言って、どんな行動をして、それがどれだけ凄いのかということを嬉しそうに話していた。
振られたときのショックはとても大きそうだった。
理由は彼女の母親から聞いてもいた。
学校も違うし、部活が忙しいから、きっと付き合っても上手くいかない。
というか、付き合うってどういうことかわからないのだという。
しかしそれは同時に息子に対して、友達以上の感情を持っていないということでもあった。
これが、中学生の頃なら上手くいっていたのかもしれない。
彼女の母親から、彼女が、息子が他の女子と話しているとなんだかイライラする。と言っていたという話を聞いたことがあるからだ。
コイツは、タイミングを単純に間違えたのだ。
彼女が恋愛どころではない時期に、学校が離れて焦った息子が衝動的に告白してしまったのだろう。
バカだな。と思ったけど、人の気持ちというものは、いつも恋愛だけが優先順位の上位に来ているわけではないのだ。
湧き上がる気持ちが先にあって、継続して行こうという、どこか理性的な思考の部分に付随した決意が必要だ。
息子がその若い芸人をいい男だと言ったのは、その決意の部分なのではないだろうかとなんとなく思った。
美しく、可愛い女の子が溢れるようにいるのであろう芸能界の中にいて、自分の丸ごとを受け止めてくれるような女の人と自分の一生を共にして行こうと決断したこと。
画面の中だけではもちろんわからないけれど、そういう部分に息子が男としての美しさを感じたとしたら、それはそれでかっこいいなあと我が息子ながら思う。
しかし、そんなふうには行かないのが人間のもどかしいところだ。
自分を愛することを他人の目線の中からばかり見出しているようでは、自分も他人も傷つけるばかりだ。
息子が自分のことをちゃんと自分自身で愛せているのかわからない。
いつも気がかりなのは、そこだった。
目の前にある美しい色が、遠くの眩しさに気を取られていると霞んでしまう。カメラのボケ表現の、被写体以外の輪郭が、ぼんやりと曖昧になって、奥にある風景をも透かしてしまうことがいつも不思議だと思っていた。
人の視界はパンフォーカスではない。
見えている景色のすべてにピントが合っているように目には見えていても、意識していない部分は、脳の中ではぼんやりとしているはずなのだ。
だから意識的に思考は、パンフォーカスでいたい。
深度を浅くして、被写体の美しさを際立たせるような情熱に溺れる時があっても、平常時は全ての景色を見渡すように視野を広げる。
広角レンズのような目を持つ。
色の世界で湧き上がる感情が揺れるような時も、その色を俯瞰するような思考の時も、同じように価値あるものだ。
奇跡のような情熱の瞬間は、全体を把握できる冷静さの中で、出会えた。
自分にとって、何が大事なんだ?
それは、常識でも倫理でもなく、他人の心でさえも関係がない。
誰かを批判することでも、自分を必要以上に褒めることでもない。
自分が今、どうあるか。
それを見ようとしないなら、どうしたいかすら、見えてこないだろう。

