先取りしたような季節の暑さに慣れたころ、曇り空が続く本来の6月を取り戻して、もう夏が終わってしまったと悲観的になってしまうのはきっと、期待が裏切られたときの落胆からの防御であり、人は願いが叶ったときの喜びよりも、心が傷ついたときの痛みの方が常に記憶の表層にあるのかもしれません。
半分の露出した腕が、冷たい外気に触れたことで身体全体が震え、しまい込んだジャケットに腕を通すとこの露出した表皮のなんと弱いものかと思い人は、自分の身体を風から遮る行為ひとつ取っても、自分の力だけでは生きられない弱い生き物だと思い知らされます。
動物たちのあの季節によって機能を変えられるふかふかとした毛皮に一人で生きていくという決意が見えて、時折、羨ましくなるのです。
来たる冬に備えてせっせと胡桃の木に足繁く通うエゾリスは立ち止まり、振り返ることを知らず、あまりにもまっすぐに前だけを見ているものだから、自然の中にはない物凄い速さのスピードで向かってくる大きな鉄の塊に轢かれ、道路の真ん中に横たわる。
カラスはその大きな塊の力のことをとうに知っていて、口にくわえた胡桃をその塊の通る先に落として硬い殻を割らせた。
どちらの脳の容量にもたいした違いはないと思えるのに個々の命のサイクルの長さが遺伝子に知恵を刻んでいくのでしょうか。だとしたら進化のスピードは、ひとつの命の長さがどれだけ経験を重ねられるかに委ねられるのかもしれない。
人間が未熟な状態で命を産み落とし、自らの時間と労力の全てを注ぐようにして守り続けるのが、この剥き出しの肌の理由なのだろうか。
一人で寒さから身を守るよりも、いつまでも肌を寄せ合って温め合えるようにと他者に執着させる。
寂しさを感じさせることで、続いてきた命だ。
それは、弱さだろうか。
いくら考えても、そんなふうには思えなかった。
何かを誰かに伝えようとする言葉も、他者との繋がりを求める本能から湧き出た道具なのだと思える。
温度が命の全てだ。
温度こそが理由だった。
生きているものと死んでいるものの違いはその体温の違いなのだ。
温かさと冷たさをダイレクトに感じられるこの柔肌にこそ、生きる理由がある。
寒い人がいたら、温めよう。
暑かったら、涼しい風が通り過ぎる距離で離れよう。
自然の摂理に従っていたはずの人は、知識を蓄えることで崇める対象を見失って行った。
抗えない気温の変化に翻弄されて、生命は息づく。
肌の感触こそが、脳を凌駕する優秀なセンサーなのだ。
精神と肉体のどちらもがあってこその命。
自分の意思など、あってないようなものだった。
自然の力の前では。



