2年生になります!
とLINEが来た。
一教科だけ再試験だった
試験の結果がわからず、
留年するのか進級できるのか
モヤモヤした気持ちで春休みを
過ごしていた娘から、
懸念材料だった事柄の
結果が届いて心底安堵している。
他の仲のいい友人たちも
揃って進級できることを
娘は心から喜んでもいた。
学校の先生はみんな厳しくて、
理不尽な人もいる。
だから私は信用しないの。
この間、娘がそう言ってたのが
おかしかった。
信用って何?
先生があんたを騙すってこと?
違う。
優しくされても、
試験に受からせてくれる
わけじゃないから、
心を許さないってこと。
そりゃあ、そうだ。
優しくすることと、
テストの点数を甘くすることは
違うだろう。
しかも先生と生徒であるあんたは
そもそも平等な立場じゃない。
心を開くも何もないじゃないか。
前に友人に怒られたことがあった。
私の子供たちが、
大人になって、仕事をすることって
本当に楽しいの?幸せなの?
と聞いたから、
自分が社会に出た時のことを
正直な心情を交えて
話したことに対して、
そんな夢も希望もないことを
そのまま話すと、
子供は将来に絶望しちゃう
らしいよ。と。
けれども、私が就職したときには
夢も希望も本当に感じられなかったのは
事実だった。
大人はみんな、自分の都合ばかりで、
自分の立場を守ることが優先だ。
学校で習ってきた常識や倫理が
社会での役に立たないことは
とっくに知っていたけれど、
あんなにも平気で、
人を傷つけられる大人が
普通に、本当に普通に
たくさんいることに
ショックを受ける前に
虚しくなった。
その背景にある様々な事情のことを
想像できなかった若さを
差し引いたとしても
思い出せば今でも
怒りが湧くような出来事が
時々、感情を伴って
記憶として蘇り、
また新鮮な気持ちになって
軽蔑してしまうのだった。
大人になることは楽しいよ!
生きてることって、幸せなんだよ!
そうやって生きていける人が
心から羨ましかった。
どうしたって自分は
自分の外の世界の中に
汚さや残酷さや虚しさを探して、
わざわざ落胆してしまう
性格であるのだ。
そういうことを本気で
自分で認めると、
自分のことを嫌いにもなるのだけど、
逆にしょうがないなと
笑い飛ばすこともできたのだった。
社会に出ると
クソみたいな人がたくさんいて、
いちいちすげーイラつくんだ。
そんで仲間みたいな友だちと
そのクソみたいなやつについて
いいも悪いも関係なく、
暴言を吐きまくったなあ。
そこで妙な連帯感が生まれたりして、
逆に仕事を助け合えた時もあった。
そう考えたらさ?
その時のクソな上司って、
うちらを仲良くさせるために
わざとクソになったんだなって
思ったりもしたんだ。
夢や希望がある方が
生きることが楽しいのなら、
それはそれでいいことだ。
だけどそんなもんがない方が
ママはなんだか楽だったのかもしれない。
期待し過ぎるくせに信用しないんだ。
それが負の感情に
囚われる原因にもなってた。
期待はしない。
だけど信じる。
自分にも他人にも
それができるといいな。
時間は一定に流れているのではなくて、
自分でいくらでも伸ばしたり縮めたり
できるんだよ。
自分の意識次第でね?
娘は進級できた喜びを
友人たちと分かち合うことに
忙しそうで、
私のそんな長い能書きを
読んでる場合じゃなさそうだった。
ん?
いつもにも増して、ママのいうこと
意味わかんない。
じゃあ、またね!
ご心配おかけしましたー!
