その人が今持ってる感情という色が波に乗って私に移った。ただ、それだけのことなんだって。
繊細な心というものは、他人の感情を拾い易い性質を持っているということなんだろう。
苦しい感情の理由。
どうして?どうして?と意味を探してもどうしようもないことに心に持っていかれて、もっと感情を深く深く底に沈めている。
自分が繊細だなんて言うと、被害妄想みたいで嫌なんだけど、鈍感も繊細もただの特徴で、どちらが生きづらいかっていうのは、自分の特徴をどれだけ把握していて、反応する場面でお互いにとってどういう行動を選べばいいのかという経験という名の技術の習得段階が違うだけなんだと思う。
自分を知ること。
自分を知るというのは、外側の人の世界を知ることと同じだって思った。
それは比較という方法でもある。
自分に自信がなくなるのなら、人と比較するなってよく言うけど、比較しないと自分のことは知ることはできない。
比べてもいい。
でも比べることで、自分の価値をなくすことはないんだって、きっとそういうこと。
逆に言うと比べて自信がなくなる場所は、自分が欲しくてたまらない場所なんだ。
それをどうにかするというよりも、それを認めることが大事だった。
人の役に立たないとか、人より優れているところを探すとか、そんなことを考えるのは、本当は必要ないのかもしれない。
感情の浮き沈みの激しさが苦しくさせるから、体調が悪くなるんだと思った。
苦しいな。と思う時。
深く飽きるまで理由を探すこともいいけど、もっと表面的な部分で解釈することで楽になれた。
息子が勉強よりも先にゲームに興じるのは、ストレスの発散でもある。特に男の人は女とは違って、感情を共有することでストレスを軽減することが苦手なのだろうから。
小さな炎が延焼するまえにもっと冷静な思考で。感情をコントロールするのではなく、発散する技術を磨く。知識を得る。経験をする。
自分を世界に反応させる。
小さく、だけど、何度も。
