自然に感じられるように | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

欠点のようなものを指摘されたとき。
それを認めたくないから、
そうじゃない理由を無意識に探していた。
それは私が自分のコンプレックスから
逃げるための思考の癖なのだと今は思える。
それでも、面倒くささや
その人の中の親切心、
あるいは言語化する能力に劣るためから、
他人が私にずっと言わないで来たことを
しっかり言ってくれる人がいることは
とても幸運なのだと思った。

愛情というものは、
存在を肯定することだと思う。
愛情の反対の表現を探してみるとそれは、
無関心や諦めであって、
否定や怒りではないのだと知った。 
しかし愛情は人を幸せにし、
同時に傷付ける可能性を持つ。
それは人が、様々な繋がりの中で
生きているからこそ生じる
矛盾のようなものだと思う。
愛という感情が特別になればなるほど、
その裏には無関心という意識が
同時に広がっていくような気がした。
  
ダメなところを指摘されて、
それを私が受け入れようと思えるのは、
その人の中に私に対する
愛が見えるからだ。
その瞬間は自分を守るための感情として、
拒絶で反応したとしても、
感情の温度が下がるのを待ち、
冷静にその人が私のことを分析し、
言語化してくれたことの労力をあとで思う。

そこに。
ありがとう。以外のどんな言葉が
思い浮かぶと言うのだろう。

  

風景の中に、私がいる。
飾ることもなくそのままで
佇む景色の中に
私は美しさを見つけに
行っていたのではなかった。 
その中にいて、
私は美しさを自然に感じている。
撮りたい気持ちが湧き上がるのを
待っているだけなのだ。

自然に湧き上がる気持ち。
その種類が感謝であることが
多くなったときに
私は自分が自分であることを
本当に認められるような気がした。

悲しみや虚しさを同時に感じるからこそ
際立つ美しさを
ただ眺め続けている。