長距離を車で移動するたびに
エゾシカの死体を必ずと言っていいほど
見かける。
道路のど真ん中、あるいは端っこに
それは転がっている。
大きな目は見開かれたままで
どこを見つめているわけでもなく、
宙を凝視している。
腹が破れて流れ出した血。
本来曲がるはずのない
方向へ向かって折れた四肢のどれか。
触れればまだ
生暖かいだろうその命が
ただの物体になるまでの時間は
生とも死とも呼べない
曖昧な境目だ。
17年前のあの日。
父の意識と私の意識が
疎通しなくなった時間。
生きていることが、
意識があることが辛いんだ。
そう言った父を憎んでいた
若く幼かったあの日の私。
私のいない世界を望んだ父。
もう誰も救うことができなくなったんだと
諦めたあの瞬間。
眠りという死の疑似体験を繰り返して、
無になることを練習する夜。
夜だけでは飽き足らず、
昼間の眩しさに照らされる
痛みから逃れるために欲する眠り。
私の方を向きながら、
私を見ていないあの
無機質な生き物の目。
同じことばかりを考えてきた気がする。
死を悟った瞬間を
どんなふうに生きようかと。
最後まで、人間であるために。
人として、心穏やかに
その日を迎えられるために。
何をして、何を考え、
何を感じて、
生きていけばいいのかを。
今ある感情を愛おしく思う。
怖さも悲しみも喜びもおかしさも。
同じように大事にして、
ただ味わいながら、
抱きしめればいい。
起こることは起こしたこと。
今ある感情の種類は、
瞬間の選択のゲームの景品。
思考と行動を組み合わせて、
他人の不幸を眺めながら、
自分の幸せを噛み締めている
残酷なドラマ。
そしていつの日か、私も行く。
父と同じ場所へ。
無というものが、
在る場所へ。
