行った。
もう完全に胃腸が老化しているのか、
それともアレルギーなのか?
後半はトイレに通うという事態に
なってしまった。
後輩たちは私と焼き肉に行くと、
いつもこうなることをわかっているので、
トイレから帰ると必ず、
温かいお茶を注文してくれている。
りりこさんは、まず野菜から
食べなさい!
油の多い部分は少しにしなさい!
氷ばっかり齧らないで!と
自分よりも10個以上も年下なのに
ありがたいことだ。
愚痴も悪口もなんだか微笑ましく
聞いていられた。
怒りも悔しさも生きているからこその
立派な感情だって思う。
だからこうやって発散することは
やっぱり職場には必要な気がした。
友達とも家族とも違う、
職場の仲間たち。
こうやって、
人を排除しながら、結束を固めるのは
そんなに悪いことでもないのかもしれない…
焼き肉屋のトイレに篭もりながら、
仲良しがいることは
仲良しじゃない人ができることなんだなあと
ぼんやり考えを巡らせていた。
せっかくの休日をひたすら眠るという
無駄な時間を過ごして
後悔していた昼下がりに
こんな記事を見つけた。
ーマズローが書籍で、『未来をもたない人は、具体性と絶望と空虚に陥る』と書いているように、最低な状況から抜け出せずに希望を失っている者は絶望し空虚感に苛まれ、空白を嫌う性質のある人間は自分を守るためそれを埋めるために、なんらかの行動に出る。
しかし絶望していると、なぜか破壊的な方面へ向かってしまうのが人間の悲しい性だ。
その結果として、荒らしになってしまう。ー
その結果として、荒らしになってしまう。ー
私の職場にも、
毎日毎日誰かの粗探しをして、
関係のない私に悪口を吹き込み、
人間関係を自ら破壊するような
行動を取る人がいるのだが、
その人は正直、仕事ができない。
要領が悪く、思い通りに行かないことに
すぐにイライラを募らせている。
その言い訳を何かや誰かに転換して
言い訳をするために
悪口と感情を撒き散らしているように
私には思えた。
彼女は今の自分の待遇や環境に
不満を持っているから、
その悪口の対象は
自分と同じ年の正社員になることが
多い。
しかし、自分はこんなに頑張っているのに
報われないと常々口にしているのだが、
私にしたら、自分の価値観だけでしか
物事を見られず、
自分の能力を過大に評価していることが
周囲との軋轢を生んでいるのでは?と
思ったりするのだが。
それでもこの人は、
悪口を言いながらも、
最終的にはこんなこと、
私に聞かせてごめんね!と
謝ることがおもしろかった。
私は、ごめんね!と思ってねーだろ!と
心で笑いながら、突っ込んでいる。
ー人間というのは愚かなんだよ。
街を歩いて方々を観察すれば一目瞭然のはずだ。
人の不幸が売り裁かれているから。
雑誌から雑談まであらゆるメディアでだ。ー
街を歩いて方々を観察すれば一目瞭然のはずだ。
人の不幸が売り裁かれているから。
雑誌から雑談まであらゆるメディアでだ。ー
残酷な事件や天災のニュースを
眺めながら、
私はこうならないように。と、
同情しながら同時に思う。
そんなとき、そこに自分がいなくて
良かったと安堵している自分に
違和感を持つ。
当事者ではないことで
自分は恵まれていると
少しでも感じてしまうなんて、
なんて残酷な感情なんだろう。と。
しかし、そんな自分の残酷さに
傷つく自分こそ、偽善者なのだと
寒気もするのだった。
バカだと思う人がいる。
おまえは、バカだよ!と正直に
口にすることと
おまえは、バカじゃないよ。と
思ってもいないのに慰めるように
嘘をつくことと
どっちが残酷なのかと考えたら、
それは後者なのではないだろうか。
だから私はバカかどうかよりも、
おもしろいかおもしろくないかで
人を見ようとするのだろうか。
それは、偽善的である自分から
目を逸らすための方法でもあった。
そして、おもしろい。ということだけが、
唯一、差別的ではない感情のような
気がしているからだ。
美しいや賢いやお金持ちには
定義があるけど、
おもしろい!だけは自由だと
思ってしまうのだ。
おもしろい!場所は
見つけようとすれば、
いくらだって、私は見つけられる。
それは、
他人がおもしろくない。と思う人にも
目を凝らせば自分とは違うところが
たくさんある。ということに
気付くことでもある。
おもしろい!と言うと
時々、バカにされてる!って
怒る人もいるけど、
バカにされて(させて)人を笑わせるということは
とても高度な技術であると思う。
自分を貶め、
他人に優越感を持たせることで、
笑いを生み出すことの難しさは
自分というものを
他人の尺度を利用せず、
自分だけが
認められている人にしか
できないことだと思うからだ。
人が人を救うのは、
希望に溢れた美しい言葉ではなかった。
自分の内にある残酷さを
受け入れたときに
人は人の美しさ(私にとってはおもしろさ)
に目を向けることが
できるのかもしれない。
やさしくなくていいんだ。
冷たいと思われたっていい。
自分がおもしろい!と感じる場所に
いつも忠実でいる。
他人の不幸の上に
人の幸せが成り立っている。
それは変えられない事実なのだから。

