尊 厳 | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

青い湖の傍らにはいくつもの木々が倒れて、その幹を水の中に横たえていた。
透明な水は空の色や風景を鏡のように映し出して、それは息を呑むほどの美しさなのだけれど、どこか冷たく、そして怖い。

命の気配がしないのだ。

カルデラ湖は火山の活動によってできたただの窪みだ。そこに雨が溜まり、湖になる。
魚たちはまったくいないわけではないが、それは月日とともに湖の酸性、またはアルカリ性の濃度が時と共に薄まり、人為的に放されたものや、湖から溢れた水が川になり、そこを遡上してきたものだという。

魚のあまりいない水には、鳥達もいない。
ただただ青いだけの水は、命を育むことのないまま、ほとりの木々の墓場になっている。




寂れた周辺の温泉観光地には、日本人よりも中国人観光客の方が多い。
けれどもその日はまったく見かけなかった。
静かな土産物屋には、手彫りの木で作られた同じようなデザインのアクセサリーが並べられている。どのお店の店員さんも自分はアイヌの血を引いていると言った。私が幼い頃は、彫りの深い顔立ちをした同級生がいたら、誰かが「アイヌ!アイヌ!」とよくからかっていた。しかし今はそんなことを言うことは、ほとんどの人達が差別用語なのだと認識している。現に私の子供たちの間ではそんな言葉を人をからかう言葉として使うものはいない。

それでも行く先々で中国人が混み合うのを見かけると、少しだけまたか…と思う。自分の中に無意識の差別感情があることに気づき、嫌悪する。けれども中国人やその他のアジア観光客によって、この辺の観光地は活気を取り戻しているのだ。当の地元民といえば、郊外のショッピングモールや、やっとのことでできたシアトル系カフェに行列を作る。

湖の名前が書かれた看板がある小さな駐車場では、薄汚れた夏の毛皮に身を包んだキツネが出迎える。人を警戒しないのは、餌を与えられた経験があるからか。こちらの様子を窺いながら近づいてくるけど、餌をもらえそうもないと悟ると、深い森の中に消えて行った。


肉食動物は、凛々しい顔をしている。狡くて、残酷にも見えるけど、大概はひとりで行動する。
颯爽と広い草原や氷に覆われた湾を駆け抜けていく、いつもの撮影場所のキツネたちのことを思い出した。
その姿を見ているとたまらなく泣きたくなるのだった。
今日の命もままならない日常で、ただ生きているというその姿に自分の弱さや傲慢さを見つけるからなのだろう。