対立するものは悉く(ことごとく)
相互に依存している関係です
今日、壊れそうなテレビを
使っていなかった別の部屋のテレビと
交換していました。
早くゲームをやりたい息子と
早く自分の遊びをしたい私は
お互いに焦りながら、
説明書を読んで、
配線と格闘していました。
気が短く、お互いに甘え合っている
私と息子です。
散らばる配線を様々な穴に
差し込みながら、
どうにも映らない画面に
イライラし、
お互いに相手のせいにして、
不満をぶつけ合います。
「おまえが2階から持ってくるとき、
どんなふうに線を外したのか、
覚えてないのかよ!!」
「いやいや。おまえが、
壊れたテレビを外す時の配線を
覚えてないのかよ!!!」
もうお互いにイライラしている感情を
ぶつけ合うばかりです。
私も息子もどうして、
外では冷静なのに
身近に思う人には
こんなふうにわがままに
なってしまうのでしょうか。
同じ種類の感情は
共鳴し合って増幅します。
自分と似ていると思ったり、
自分との距離が近いと思うと
余計に。
それからふと我に帰って、
お互いの共通の目的を思い出しました。
私たちはケンカがしたいわけじゃない。
テレビが見たいんだった!!
これ以上はお互いに
なんの知識もないことが
判明しましたので、
近所の電器屋さんに
相談することにしました。
映らない原因はとても簡単でしたが、
説明書を読むだけでは
拉致の明かないことでもありました。
ケンカになるのは、
お互いに相手を尊重する気持ちを
忘れてしまうからだって思います。
何を話し合っていたのかを忘れて、
自分の思い通りにならないことに
不満を持つからです。
誰が悪いのか、
何が悪いのかにばかり考えが及ぶと
人を否定したくなり、
許せない自分に苦しみ、
答えの出ない問題にばかり
こだわることになり、
誰も自分を理解してくれないと
寂しさを募らせ、
他人と関わることから逃げてしまう。
1.自分も他者も裁く事になる
2.自己同一性に不具合が生じる
3.思考による分断と幻想に迷い込む
4.空虚や虚無感から孤独感を募らせる
5.問題の回避になるが解決には至らない
(リブログ内より転載)
私たちは本当は争いたくはないし、
他人の争う姿も見たくはない。
それは一般的に人には、
他人の痛みを
自分の痛みのように感じる器官が
備わっているからだと思うからです。
私は息子と
対立するために生きているわけじゃない。
私は息子と仲よくしたいから
ケンカになりそうなときは
一度心に距離を置かなければ
ならないのです。
キミは私の何でもを受け入れてくれる
わけじゃない。
キミは私とは違う思考と経験を持つ、
別の人間だ。
怒りの感情を一度鎮めて、
もう一度何がしたかったのか、
何をして欲しいのか、
お互いに思い出し、
譲り合える方法を探すために
思考を使うのです。
お互いに理解し合うために
対話をするのです。