親切というゲーム | 想像と創造の毎日

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自分で撮影しております。




賢い子供はいるものです。
大人びた口調で、人の言葉の揚げ足を取る。

友人の5歳の息子は、
友人が呆れるほどに
口が達者で、大人の言動や行動を
逐一良く観察しています。

こないだ、幼稚園の先生に
発達障害かもしれない。
と言われたそうで、
彼女は少し落ち込んでいました。

今の時代。
少々風変わりな子がいると
そんなことを言われることが
多いように感じます。

うちの娘は
いろんなことができなくて、
診断を勧められたけれど、
頭が良すぎても
そう言われるんだなーと
ぼんやり思いました。

私はそれでも彼が好きです。
本気で腹が立つ時もあるけれど、
私の言動の矛盾を
まっすぐに指摘してくると
コイツ。やるな!
となんだか頼もしい気持ちにもなる。

この間は、友達を利用して、
自分が大人に褒めらるように
画策している様子を見かけて、
私は見過ごすやさしさもなく、
指摘しました。

「自分ばっかり、やるんじゃないよ。
    ○○ちゃんもやりたいんだってさ。」

すると彼は自分のずるさを
見つかっちゃったって顔をして、
少しバツが悪そうな態度を取ったけど、
すぐに自分のやっていることを
その子に譲りました。

「偉いじゃん。」

と私がひとこと言うと彼は

「これは、"協力"なんだよ。
    協力っていうゲーム。」

と言っていて、私はおかしくなったあとに
少し背筋が寒くなった。

どうやら彼は、
感情というものの認識が
少しおかしいなと感じてしまったのです。

彼には喜怒哀楽があまりなくて、
こんなに小さいのに
すごく理論的なのです。

周りの同じ年頃の友達のことも
自分の都合のいいように
行動させたりする場面も
よくある。

ゲーム…

なぜ、彼はそんな言葉を使ったのだろう。
その理由を考えると、それは、
自分が友達のためにという気持ちよりも
どこかでこうした方が
その場で見ていた私の望むことなんだと
思ったんじゃないか?
そんなふうにも思ってしまったのです。

大人達が彼に感じている違和感。
私はその理由をずっと考えていました。

子供らしくない。
そのひとことにも尽きる。

泣きわめいたり、怒ることも
あまりありません。

自分が他人に何かをすることで、
彼は意図的にその反応を
探っているようにも見えるんです。

わざと叩いて誰かを泣かせたり、
わざと大人の言うことと反対のことをして、
反応を確かめていたのです。

しかし彼は、
いつも自分の考えたことを
まっすぐに言葉にしました。

自分が納得できないことには
断固として従わない。
それが、時に大人をイライラさせる。

私はそれが、
とてもおもしろかった。
いや。こんなことを
おもしろがるのは、
不謹慎なのかもしれません。

だけど伝えるべきなのは、
他人を傷つけることは
しちゃいけないんだと
いうこと。

他人を自分の思い通りに
コントロールしようとしないこと。

彼に伝えるべきことは、
それだけのような気もしました。

そしてそれはどんな場面なのか。
人の数だけある種類の違う
正しさの前で、
彼がこれからどんな選択をするのか。
私はそれが楽しみでもあるのでした。

人の心を敏感に察知して、
何も言えない子供もいれば、
彼のように
他人の心を知識として、
習得しようとする子がいる。

それでも
それぞれにしかない
得意と不得意のことを
私たち大人は
どんなふうに気付いてあげられるのか。
それが大事なんだと思ったりもします。

わがままで自己中心的な彼が、
小さな親切をしようとしたときに
それを見逃さないで、
ちゃんと気付いて褒めてあげられる。

そんな大人に彼が
出会えますように。
私は心でそっと祈ります。