信じろよ | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。




娘の部屋を掃除していると
本がたくさん出てきた。
どれもこれも、
自分探しのような
哲学的なような
自己啓発のような。

自分のネガティブな思考と
どう付き合うかに
本の中から
答えを探していたような
そんな内容ばかりだった。

若い時はみんなそうなのだろう。
同じ歳の子達が同じ空間に
押し込められていて、
自分と他人を比べるな
という方が無理というものである。

そこで人よりもできるところを
見つけて、
自分に自信を持ったり、
逆にできないところばかりが
多いと感じると
自分の存在意義に疑問ばかり
感じるようになる。

それは人が一人で
生きていけない以上、
自分が何かや誰かの
役に立つことで、
自分がいる意味を肯定したい。
根本には誰もが、
そんな利他的な思考を
持っているのだろう。

そのこと自体はとても
素晴らしいことだ。
しかし、それにばかり
囚われていると
自分の人生を楽しむことが
できなくなることもまた
真実であるのだった。

娘はマルチタスクというものが、
とりわけ苦手で、
自分がどう見られているかばかりを
気にしていた。

それでも芯は頑固で
自分の興味のないことには
絶対に人に合わせることもない。

私もすぐに
様々なことで
不安になったりする方であるけれど、
不安を感じられるということは、
先を読むことに
長けていることだとも
思っているので、
それが欠点だとは別に思わない。

きっと人はみんな同じで、
誰もが長所は短所に
短所は長所にもなり得る。

自暴自棄になるときも、
人が信じられなくなるときもある。

誰もが自分勝手のように見えて、
自分が人の期待に答えられないことに
自分で失望することもあるだろう。

それでも他人も自分も
根本は同じなんだと
そう思うことに
何度も戻る。

みんな自分以外の誰かを
本当は必要としている。
自分の力で立ち上がることは
自分の自信にもなるだろうけど、
自分が誰かに助けを求められる
勇気を持てたことだって、
自分の自信にしたっていい。
そんなふうにも思う。

どうしたんだよ?
どうして欲しいんだよ。

何度もここで問いかける。
何が信じられない?
何に自信をなくした?

キミも私も同じなんだよ。
だけど言葉にしなきゃ
わからないんだ。

勇気を持って、
手を差し出せよ。
キミの求める答えは
あげられないかもしれない。

だけど一緒に考えて
あげることはできる。

何を見てきた?
自分は、何を信じたかったの?

心を閉ざすなよ。
助けて!と言え。

全てはそこから、始まる。