先日、バドミントンの「ヨネックス・オープン・ジャパン2016」を観戦しに行ってきました。
今日というか昨日というか、とにかく9月25日に男女シングルス、全ダブルスの決勝が行われて、リオ五輪の金メダリストである「タカマツペア」こと、高橋選手、松友選手の女子ダブルスペアは決勝で敗れてしまったようですね。残念。
バドミントンの注目度が一過性となりませんように
私が観戦しに行ったのは、準々決勝の日でした。
場所は東京体育館。
平日の金曜。第一試合開始の1時間半前に行ったのにもかかわらず、中に入るとたくさんの人が観戦しに来ていました。
↑第一試合開始前
なんとか2階席の中央付近を確保した私。
外反母趾の治療のため、遅れて到着した友人M。
私たちのお目当ては、、、金メダリストの「タカマツペア」はもちろん、リオ五輪の再現となった女子シングルスの「奥原選手VS山口選手」。
結果は山口選手がストレート(2-0)で、初めて奥原選手を破りました。
タカマツペアに試合が一方的な展開だったこともあり、会場はこの日一番の盛り上がりを見せていました。
試合の合間に、この大会に関係企業の1つで働いている大学時代の先輩が私たちの席に顔を出してくださり、いろいろと興味深い話を聞けました。
一番は、やはり五輪効果の絶大さ。
もしも、リオ五輪でタカマツペア、奥原選手がメダルを取っていなければ、こんなにお客さんが入ることはなかったとのことです。例年の決勝(土日開催)よりも、この日(平日)の方が圧倒的にお客さんが多かったという事実がすべてを物語っていると。
一方で、一番不安なのは、これが一過性のブームとなってしまうことだそうです。
世界大会で活躍することが、そのスポーツの知名度を上げる一番の方法です。
そのためには、人材(優秀な選手)が必要。
①世界大会でトップ選手が活躍 ⇒ ②メディアで取り上げられる ⇒ ➂その競技に取り組む人・観戦する人が増加 ⇒ ④競技人口・認知度の底上げ ⇒ ⑤選手の育成 ⇒ ①世界大会でトップ選手が活躍 ⇒ ②・・・
①~⑤が繰り返されることで、長期的にその競技が根付き、選手が強化されるという好循環が作れます。
小学校の体育でサッカーやバスケ、野球(ベースボール型ゲーム)、バレーボール(ネット型)はあっても、バドミントンってやることないですよね。
中高の部活でもバドミントン部って少ないです。
そういう意味では、裾野を広げるという意味ではバドミントンはかなり不利です。
しかし、今回のリオ五輪を観た人は、こう思ったはず。
バドミントン、おもしれ~~!!
生で見ると、さらにおもしろいです。
あまり、バドミントンの普及について書くと長くなってしまうのでこの辺にしますが、
ぜひ、このバドミントンブームが一過性のものとならないように、関係者の方々、メディアを含めて戦略を練ってほしいと思います。
追われる「奥原」vs追う「山口」
私がこの日、一番注目していた女子シングルスの「奥原選手vs山口選手」。
これまでの対戦成績は、奥原選手が全勝。
山口選手はリオ五輪までは1セットも取れずに全敗していました。
※リオ五輪では、1セット奪取
この戦績を見る限り、奥原選手有利。
メダリストは五輪後にメディア対応(露出)でなかなか練習できないという点があっても、普通に考えれば、よっぽどコアなファン以外はほとんどの人が「最後は奥原が勝つでしょ」と思っていたのではないでしょうか。
結果は、ストレートで山口選手が勝ちました。
この試合に向けて、山口選手は「1桁での負けははずかしいから、2桁は取りたい」と試合前日に発言していました。
つまり、奥原選手にはまだまだ実力が及ばないから、はずかしい試合にならないようにがんばりたいということです。
本来の実力の差は素人の私にはわかりませんが、山口選手の意識的には「奥原選手にはまだまだ追いつかないのが自分の立場」だと推察されます。
一方で、山口選手がこう発言したのなら、当然、奥原選手は日本人ナンバーワンとしてどっしりと構えているのだと私は思っていました。
しかし、試合に敗れた後、奥原選手は次のようにコメントしました。
「いつかは負けると思っていた。勝負に負けた悔しさはあるけど、実力は分かっているので。半々かな」
あぁ、そういうことかと、私は納得しました。
追っている方は鈍感になり、追われている方は敏感になる感覚的な実力差
山口選手にとっては、まだまだかなわないと思っていた奥原選手。
奥原選手にとっては、いつか負けると思っていた山口選手。
つまり、
追っている方は、まだまだ追いつかないと感じている
追われている方は、かなり追いつかれていると感じている
このような互いの意識のズレって、切磋琢磨していると良くあることですよね。
特に、ずっと優位な立場(実力的)にいると、他の選手に追いつかれないようにと必死になり、周りの選手の「伸び」に敏感になります。
追っている方は、自分の実力を高めることに必死であることと、自分より上位の人を神格化ししまうこともあって、正確な実力差をはかれないことがよくあります。つまりは、鈍感になっているのです。
小学生で初めて味わう追われる恐怖と挫折
学力はテストによって到達度を確認し、スポーツの世界では勝敗で力量差を確認します。
そこには、必ず上と下があります。
同じテストで100点を取った子と60点の子では明確な差があります。
サッカーの試合で、0-5で敗れれば、相手との差を思い知ることになります。
小学校でも、同様の場面は様々ありますよね。
テストの点数を競ったり、体育の跳び箱で跳べる高さを競ったりと、いろいろなことで子どもたちは競っています。
時に過度な競争をあおることは良くないという議論がありますが、大人がどんなに行動しても子どもたちの心の中にある競争心は消えません。
競争するということは、勝利した喜びを味わうこともあれば、敗北した悔しさも味わうことになります。
小学校の高学年ぐらいになると、「喜び」と「悔しさ」を味わう子が増えてきます。
今、秋運動に向けた取り組みの中で、そういった場面を見かけませんか?
例えば、
1年生からず~っと50m走が学年トップだった子と、走力が伸びてきている他の子たちとの拮抗した争い。
表現の練習で最初は目立っていた子(習い事はダンス)が、運動センスの良い他の子に追い抜かれていく様子。
足の速さが注目されがちの小学生だが、騎馬戦でその腕力の強さをみんなに認められて伸びる子。
よーく目を凝らすと、いろいろな場面で子どもたちは自分のプライドを守ろうとがんばっています。
追っている方は気持ちも乗っているから教師としての声かけは簡単ですね。
追っている方は、負けたとしても「また負けたか、次こそは・・・」と、けっこうすぐに切り替えられます。
問題は、追われている方。特に、追われていてプレッシャーを感じている子への声かけ。
これは、けっこう慎重にならないといけませんね。
下手すると、本当に自信を失っちゃって、その子の良さが消えてしまうこともあります。
勝てば自信は継続できます。
負けた時に、その子がどう変われるか。
教師の腕の見せ所ですね。
トップアスリートも小学生も悔しい気持ちは同じ
当たり前のことですが、大切です。
自分のプライドをかけて人と何かを競うのに、小学生もトップアスリートもありません。
奥原選手は、女子バドミントン界を背負って立つ選手の一人なので、メディア向けのコメントでは冷静さを装っていますが、内心は「悔しくてたまらない」というのが本音でしょう。
子どもが勝負に負けて泣いたり怒ったり、落ち込んだりするのと同じです。
私たち大人も同じですよね。
ただし、私たち大人と違って、子どもたちは初めての気持ち(体験)の連続の中で生活しています。
すごいと思っていた人(友達)を追う楽しさ(嬉しさ)
自分が優れていると思っていたことで、誰かに追われる(抜かされる)恐怖と悔しさ
どう対処したらいいのか、先生自身の経験でも、話題になっていることでもいいので、具体的に同様の場面を子どもたちに紹介することをおすすめします。
個人で乗り越えられる子もたくさんいますが、
逆に乗り越えられないガラスのハートの子もたくさんいますので。
トップアスリートの中にも、気持ちの弱い選手がいるぐらいですから、自分の周りにいる子どもたちのほとんどがガラスのハートだと思うぐらいでもいいかもしれませんね。