中南米コンシェルジュの武内祐子です
私は世界を旅することで人生が開け、
乱高下はありつつも 全体的な幸せ感はお陰様で歳を経るごとに少しずつ上がっているのを感じています。
そこで今日は、幸せ感に欠かせない要素だと思われる『自由』と旅の関係について、私の実感を言葉にしてみたいと思います。
良く、旅と自由はセットで語られる事が多く、
実際、私も20代は無意識に自由を求めて海外に出ていた感があります。
確かに海外に行くと手っ取り早く自由な気分は味わえるけど、
じゃあ実際、自由って何…?
その場限りの自由な気分を味わえればそれでいいのか…?
いや、現実として、自由に近付いてないと意味ないんじゃ…?
という疑問が沸いてきたんです。
この問題について、ようやく最近、自分なりに表現出来る様な気がしてきました。
先ず、自由を求めるのは、今不自由を感じているからですよね。
私達は幼い頃から大学まで入れると、22歳位まで、社会生活に適合する為のしつけや、教育という名の洗脳を受けながら育ってきました。
まだ物心付く前から、私達は育ててもらう為にしつけに従い、好きな様に生きることを封印する必要がありました。
確かに赤ちゃんは自由な怪獣のようなので、あのまま野放しに育っては社会が成り立たないのも確か
そんなこんなで、気がつくと、大学に入る頃には社会で立派にやっていくにはこうあるべき、これをやらなきゃ、あれがないと…
と、頭の中が義務感やマイルールでがんじがらめになっているのです。
そして、大半の人が社会人になって、社会が求める正しい生き方をして、波風立てない様に正しいと思われる一生を送ります。
私はたまたま、18歳の時にインドに行き、日本の価値観の枠から飛び出した所で営まれる別の社会を目撃する機会がありました
命の重みの感覚が全然違う、とか。
そこで、軽く洗脳が解けたんですね
どうもこの世は、日本の物差しだけが絶対ではないぞ、と。
それからというもの、日本の常識しか知らない生き方に疑問を抱き、
しかも、それに従っても私は幸せにはなれない気がすると言う野生の勘も手伝って、
もっと世界を知る必要がある様な気がして旅を続けてきました。
つまり、大人になっても私達を不自由にしているのは、子供の頃から自分が受け入れてきた、本来の自分ではない価値観や常識ということです。
そして、その価値観は余りにも長い間信じ続けていると、当たり前のものとして自分と一体化し、見えなくなっているのです。
それが、海外に出て自分と違う常識に触れる事で、
あれ!?自分の常識と、違うものがある!?
とびっくりして気付いたりする。
それは不快感を伴うこともありますが、ともかく自分が無意識に当たり前としていた価値観に気が付くことは出来る。
この時点で、自分と価値観は分離しています。
ここで、2パターンの反応に分かれます。
パターン1
自分の価値観と違う方がおかしい!と反射的に思い、今までの常識に戻る。
それにより、相手は間違っている、となる。
そしてここは変な国だ…となる。
パターン2
あれ?!自分は今までこの常識を当たり前としていたけど、他にもあるのかな…?と、興味を持ってみる。
するとこの考え方も一理あるのか…?と思える事も。
むしろ、新たな考え方として受け入れたくなる事もある。
すると、どうでしょう?!
相反する常識が、融合してゼロになる…!
そうすると、そこにはどちらが正しいの二元論ではなく、どちらもあり、の平和しかなくなる。
これ、表現するのが非常に難しいのですが、
例えば、日本では手でご飯を食べるのはお行儀が悪いのでNGと教えられて育ちます。
ところが、インドやスリランカでは、手で食べるのが正解。
そこで行動だけを見て判断するのではなく、
その理由を聞いてみると、意外な価値観が見えてきました。
彼ら曰く、ナイフやフォークは武器を連想させ、食事の席までそんな暴力的なものを使うなんて…と考える人もいる。
この考え方を聞いた時、私は軽く衝撃を受けました
当たり前どころか、今までお行儀がいいと思ってナイフ、フォークを使ってたけど、言われてみれば確かに暴力的とも言えるかも…
それ以来何故かフォークが槍に見える(笑)
彼らは食事は穏やかな気持ちで平和に楽しみたいと思っており、それは私達日本人も含め、世界中みんな同じ思いです
その考え方も確かに、となると、手で食べるのが正しい感覚もめっちゃ分かる〜❗️
となり、お行儀が悪い感覚が消えて行く。
つまり、自分とは違う考え方を受け入れた時、ケースバイケースで、どっちもあり
どちらの考え方にも違和感は感じなくなってる、どちらも選べるニュートラルな自分がいる。
その結果、今まで信じきっていた価値観の枠から解放され、
調和がもたらされ、世界が広がり、結果、自由度が増すのです。
こうでなきゃいけない、こうあるべき!
という思い込みが不自由の正体だとしたら、
100人いたら100通りの不自由さがあります。
日本で他人と関わるだけでも、自分の枠に気付いて外していく事は出来ますし、
海外だと、その違いが社会単位なので、より大きくて分かりやすかったりします
日本人は幸運にも、世界でもトップレベルに海外旅行をしやすい国に生まれています。
しかも、世界でもトップレベルに教育や常識にがんじがらめに育ちます
それって、もしかしたら、強烈な不自由感から、自由の価値を知る経験をする為に日本を選んで生まれて来たのでは?と思えるほど…
では、次回はこの続きで、
どうして海外に行くと幸せ感がUPするのか、について考えてみたいと思います