娘の合格発表が出た。

定員割れだから受かるはず、と
思っていたものの、
やはりきちんと合格通知を見ないことには
落ち着かなかった。
ああ、やっとこれで、ひと安心。
早速、お金の振込やら、
口座振替の依頼で銀行に行ったり、
制服注文の日程を組んだりした。

今の受験事情は昔と変わって、
ミスが許されない風潮になったせいか、
合格通知とともに、
回答用紙のコピーまでもらって
娘は帰宅した。
塾はこれをデータとして
次年度の指導に使うらしく、
塾にも持ってくるように、と
わざわざ連絡があった。

チラリと見たら、
英語20点。
100点満点で20点…
定員割れといっても、
こんな生徒を入れるなんて、
高校の先生は
さぞかしガッカリしただろうなぁ、
なんて思ったりした。
入ってしまえばこっちのもの、
とか言うけれど、
本当に入学させていただき
ありがとうございますと
頭を地べたに擦り付けたい気分だ。

娘の受験に気を取られて
延ばし延ばしにしていたおひな様を
先週末にやっと出した。
父方の祖母が買ってくれたという
私のおひな様。
50年モノの7段飾りは
気合いがないとなかなか出せないのだ。

スチールの台を組み立て、
板を載せ、毛氈をひく。
1番上の親王飾りから下へと
一箱ずつ開けていく。

飾る間じゅう、
心は祖母との思い出を旅している。

人を喜ばせることが好きだった祖母。
私たちが行くと、
いつも自分が選んだおもちゃや
洋服なんかを渡してくれた。
ジュースもいくらでも
飲ませてくれたなぁ。

介護施設に入ってからは
父と甘いもの、
舟和のあんこ玉なんかを持って行くと
嬉しそうに食べてくれた。
私たちが帰る段になって
エレベーターに乗るときは
車椅子姿で、ドアが閉まるまで
必ず手を振ってくれた。

病院での最期は
親族全員で送ることができた。

付き添ってくれていた父の妹たちが、
落ち着いたから
一旦帰宅しようかというとき、
容体が悪くなって
帰宅を思いとどまったのだった。

仕事が忙しくてやっと病院にきた孫や
長い間会ってなかった孫、
私たちのように離れて住んでる孫。
孫たちやひ孫たちが奇跡的に全員揃い、
文字通り親族全員が見守る中、
1番頼りにしていた下の娘(父の妹)が
「大丈夫だよ。もういいんだよ」と
手を握ってくれ、
背中をさすられながら
祖母は逝った。

お葬式の日、
焼き場へ行くときだったか、
帰りだったかのマイクロバスの中。
それまでよかった天気が急に曇り出し、
雨が降ってきたと思ったら、
雹(ヒョウ)になった。
わぁ、雹だ!と驚いていたら、
降りる頃にはすっかり晴れていた。
神々しいほどの晴れ。
「おばあちゃん、
    みんな集まったからサービスしたね」と
おば達と笑い合った。

祖母が買ってくれたおひな様は
すっかり劣化して
髪の毛がスカスカだったり、
首がグルンと回ってしまったりするけれど
下の娘がハタチになるまでは
頑張って毎年出そうと思っている。

とりかかるまでは面倒くさいけど
出しながら祖母を思い出す時間は
実はとっても幸せな時間だ。
思い出が幸せだということは
愛されたという記憶なのかもしれない。
優しかった祖母のようになりたいと
最近よく思うようになった。

毎年の春のセンチメンタルジャーニーは
供養とともに。

おばあちゃん、私、50歳過ぎたよ。
おかげさまで元気でやってるよ。

何故だかおひな様に
手を合わせた。