今日、やっとおひな様を片付けた。
出すのも遅かったけど
しまうのも遅くなってしまった。

毎年、おひな様の前に
娘たち2人を並べて
写真を撮っていたのだが、
上の娘が家を出たので
今年は下の子1人で写真を撮った。
娘たちの成長と寂しさが1枚に収まって、
私のスマホに残った。

今年からは下の子だけなんだな、と
感傷に浸っていたら
ひな祭りの翌日、
思いがけず、上の娘が帰ってきて
例年通りの2人並んだスタイルで
おひな様の前で写真を撮った。
下の娘もなんだか嬉しそうだった。

おとといの金曜日は、実家へ行った。
明日から父が入院するので
その前にちょっと
部屋の掃除に行って、
様子を見てこようと思ったのだ。

父はもう7度目の前立腺ガンの手術で
入院も病院ももう慣れっこだ。
毎回キッチリ検査して、
ガンらしき腫瘍が見つかると
初期の段階ですぐ手術。
そんなことを繰り返している。
悲壮感は全くなさそう、に見える。
私がガンが死に至る病気だと
あまり実感したことがないのは
そんな父の姿を見ているからだと思う。

昼前11時過ぎ、実家に行くと
父はカラオケ教室に出かけていて
不在だった。
入院前でも生活リズムを変えないのは
父らしい。

母は、水割りを飲んでいた。想定内。

とりあえず、昨日の残りだという
おでんを昼食に食べてから
掃除機をかけたり、
キッチンの壁や床を拭いたり、
トイレ掃除をしたりした。

私が掃除している間、
母はテレビを見ながら、
古くなった肌着をウエス用に切っていた。

母がポツリポツリ語り出す。
顔は合わせず、
私は相槌だけをうつ。

母が酒を飲むと父が嫌味を言うこと、
父が部屋を片付けないこと、
娘時代の嫌だったこと、
愛してくれなかった母親のこと、
無理して入った学校が辛かったこと、
社宅住まいの気苦労、
私や弟が幼かった頃のこと、
弟が全く勉強しなかったこと…

母は酒と過去に生きていた。

「いろんな人がいるからね」とか
「大変だったね」と私が言うと、
母の心もほぐれていくのか、
「まぁしょうがないよね」と答えた。

母と初めて、
穏やかに、まともに、
話をしたような気がした。

母は、その特性、
人の気持ちがわからなかったり、
ズレた思い込みで、
空気が読めなかったりしたことで
ずっと人とうまくいかない人生を
歩んできたのだと
わかってるつもりではいたが、
本当に、母を1人の人間として
或いは友人のように、
この人はずっと辛かったんだな、と思った。

理解してくれる人、
話を黙って聞いてくれる人に
出会えなかった母。
酒や、人を責めることでしか
自分を立て直せなかった母。
この人の弱さに
恨みや嫌悪の気持ちを全く持たずに
ただ、同情した。
私は、
母を許したのかもしれない。

今日片付けたおひな様には、
実は、
父方の祖母の思い出だけじゃなく、
母の思い出もある。
先日のおひな様を出したときの記事には、
母への複雑な気持ちがまだあって、
書かなかったけれど、
おひな様の箱一つ一つに
三人官女、とか、五人囃子、とか
母の字が書いてある。

今日は母のことを
少しだけ思い出しながら
おひな様を片付けた。

母は
何年も前に亡くなった母親への文句を
今も言っていた。
私も、そうなるところだった。
そうならなくてよかった。

母を許して、
私が救われた。
そんな気がした。


明日は娘の卒業式。
春の、予感。