決定打はイチローだった。
ぼんやりと
カサンドラであることをやめるには
自分がカサンドラだと思うことを
やめるしかないんじゃないかと
思い初めていたその頃、
イチロー引退のドキュメンタリーを
見たのだ。
老い、限界、諦め、そして引退。
そこへ行き着くまでの
イチローの努力を誰もが尊敬し、
その生き方に憧れた。
イチローは言った。
「やっぱり日々、懸命に生きたい」と。
私もこの先の
残りの人生のことを考えた。
今のままでは、私の人生全てが
カサンドラで占められ、
恨みや悲しみ、寂しさに
とらわれたまま、
一生が終わってしまう。
私もイチローのように
熱く生きたい、と、
思ってしまった。
乳がんで死というものを意識し、
人間いつ死ぬかわからない、と
思うようになったこともある。
死ぬときに、
カサンドラじゃない自分で
死にたい。
やりたいことをやり、
人々と心通わせ、
人生を楽しみ、
自分でも、願わくは人からも
いい人生だったね、と言われるような
生き方がしたい。
そのために私は。
だから、今日、
平成の終わり、
私はこのブログをやめることにした。
カサンドラと決別して、
令和を生きていく。
NHKのカサンドラ掲示板から
この場所へ導かれ、
苦しいのは自分だけじゃないと知って、
本当に救われた。
暖かい言葉をかけてもらって、
辛さに共感してもらって、
嬉しかった。
みんな、戦友だった。
この場所で十分すぎるほど
優しくされて、
休ませてもらって、
私は回復してきたのかもしれない。
一昨日、夫は一人で旅行に行った。
旅先から頼みもしない食事や風景の写メ、
訳の分からないメールを送ってきた。
下の娘は昨日も何もせず
スマホにかかりきりだった。
先日早速、再試になったと言っていた。
状況は何も変わっていない。
でも、もういいのだ。
もう悲しまないことにした。
例えば、寮母のように、
例えば、家政婦の猫村さんのように、
なれたらいいな、と思う。
愛はないけど、
情はある。
これからは
夫や娘の人生の傍観者として生きる。
言葉の選び方、時間の感覚、常識のズレ…
腹の立つことはいくらでもあるけど
私はこの家で生きていく。
自分の好きなこと、
本を読み、絵に触れ、文字を書く、
そういったことを
これからの人生の柱にして、
振り回されずに生きていく。
いつ死ぬかはわからないけれど
死ぬまで、
自分なりに頑張りたい。
私はもっと強いはず。
だから、きっと大丈夫。
今まで、
このブログを読んでくださった
全ての方に
心からの感謝を申し上げます。
お世話になりました。
ありがとうございました。
みんな、元気でね。
幸せになってね。