モモコとアイリは、サキに言われた通り
城壁から降りると、すぐにその場を離れた。
なんとか無事、家にたどり着いたころには
空が白み始めていた。
「どうしよう…」
最小限の灯りだけを燈した部屋の中を
アイリが忙しなく歩き回る。
「アタシのせいだ、アタシのせいだ
アタシのせいだ…」
早口で何度も呟く。
「アイリ、落ち着いて」
モモコが声をあげた。
目の前のテーブルの上に、まだ手をつけていない
水滴をまとったグラスが、四つある。
注がれているのは、レモネードだ。
疲れた身体を癒すためにと、モモコとアイリ
それにすぐに戻ってくるはずの
サキとミヤビのために、アイリが用意した。
だがいくら待っても、ふたりは戻ってこない。
「あのふたりなら、大丈夫だよ」
なんでもないような口ぶりで、モモコが言う。
「大丈夫なわけないじゃん! モモも見たでしょ?
ミヤビちゃん、大怪我してるんだよ!?」
「だって、キャップがついてるもん」
少なくとも、子爵の手の者に捕まったりはしない。
だから大丈夫、と何度も繰り返す。
言葉は自信に満ちていたが
その視線はなにも捉えてなかった。
「だいたいさ、なんで助けにきたの!?」
掴みかかりそうな勢いで、アイリが言った。
「なんでって…」
「助けてって、誰も頼んでないじゃん!
モモたちには関係ないじゃん! それともあれ?
アタシのこと助けたら、お礼に氷の刃
創ってもらえるとでも思ったの?」
「そんなこと…」
感情を吐き出すようにまくし立てるアイリに
モモコは言葉を失った。
「創んないよ、そんなことされたって
創るわけないじゃん!
なのに、城に忍び込むなんて無茶して
ふたりが捕まって…」
アイリは椅子に身体をストンと落した。
両手で顔を覆う。
「これで、ミヤビちゃんに、もしものことでもあったら
アタシ、どうしたらいいのか、わかんない…」
消え入るような声で言うと
アイリは静かに首を振った。
「アイリ」
モモコは立ち上がり、彼女に近づくと
そっと肩に手を掛けた。
「あのふたりは、伝説の錬金術師じゃなくても
助けに行ったよ。だって、そういう子たちだもん」
嗚咽を漏らすアイリの顔を覗き込む。
「そして、モモはアイリだから行ったんだよ。
だって、大切なお友だちだもん」
アイリがゆっくりと顔をあげる。
モモコは笑みを浮かべて頷いた。
「心配しないで。
朝になったらモモ、王さまに会いに行くから」
君主アクアサンタ公は、決して暗君ではない。
それに、トリル子爵のよくない噂も、耳にしているはずだ。
ちゃんと説明すれば、わかってくれるに違いない。
「だったら、アタシが行く」
アイリは勢いよく立ち上がった。
頬に残った涙の跡を急いで拭う。
「モモが言ったって、信用してもらえるか
わかんないじゃん。
でも、アタシならきっと信じてもらえる」
国内はおろか、帝都までその名を知られる錬金術師だ。
名もない他国の旅人が訴えるより、ずっと信用できる。
だがモモコは、今にも部屋を飛び出しそうなアイリを
両手を前に出して押しとどめた。
「アイリはダメ。だって、子爵んとこの連中に
見つかったら、また捕まっちゃうよ」
そうなったら、今度こそ命の保障はない。
向こうは、今回の件に関わる者
全てを闇に葬りたいはずだからだ。
「でも、それはモモも一緒じゃん」
アイリは苛立つように足を踏み鳴らした。
侵入した時に、何人かには確実に顔を見られている。
もし見つかれば、アイリ以上に命の危険に見舞われる。
だがモモコは首を振った。
「モモは平気。たぶん見つかんないから」
「なんで? なんでそんなことが言えるの?」
「だってモモ…」
モモコは俯いて唇を突き出した。
そして拗ねたような視線を送る。
「だってモモの顔、地味だもん。
誰も憶えてないよ」
その37 その39