子どもが不登校になると、
親は何とか学校に戻れるようにと、
よかれと思うことを取り組み続けます。
早く復学させたいと思うと、
手段にこだわり、親自身の心も子どもの心も
どこかに忘れがちになります。
子どもは親に対して
何も期待できなくなっていたとしても、
親が必死になって
自分のことを理解しようとしたり、
自分の人生を考えていることは、
次第にわかってきます。
停まってしまうまで、
あまりにもわかってもらえなかったので、
どんなに親が自分のために
尽くしてくれていても、
素直に感謝を表現できなくなっています。
しかし親の変化を子どもはよく見ています。
親の思い込みで子どもを見ていると、
本当はそこにいる“わが子”の姿が、
見えにくくなります。
「ありがとうと言うことが感謝」
「こう振る舞うのが思いやり」
そのような親の“正しさ”の枠を
通して見ていると、
その枠に入らないものは、
つい見落としてしまいます。
たとえば親が何かを頼めば、
「すぐに」行動したり、
親の都合に合わせて動こうとすること。
頼まれたことを黙ってやること。
ぶっきらぼうでも、
同じ空間にい続けていること。
そこには、その子なりの
「ありがとう」や「わかっているよ」が、
静かに込められていることがあります。
子どもから頼まれたことをして、
「ありがとう」がないからと、
子どもに感謝や思いやりが
ないわけではありません。
親が決めた“感謝の形”ではなく、
その子が選んでいる“感謝の形”を
見ようとしたとき、
ありのままの子どもを感じられ、
見えるようになります。
親の思い込みを少し横に置いたとき、
はじめて、
「この子は、この子なりにちゃんと育っている」
という子どもの全体の姿が見えてきます。
心は温かく育っていますので、
子どもには感謝の心が育っていると
信じられたらいいなぁと思っています![]()
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