☆長い足族理論 = 日本人本来の体の使い方
・正座をして、坐骨を左右揃える&立てる習慣
・足を上げるあげるで、母指球重心の歩行習慣
・呼吸の呼は『吐く』 吐くが先の呼吸を習慣
いろんな事実がわかってきたので、新しく私の自己紹介をします。 上書き です
1991年2月7日 私の悪性黒色腫 本手術でした。
その手術は、当時、皮膚科・悪性黒色腫において、日本のツートップの一人だった、臼田俊和氏。
(氏 をつけるのも、かなり気持ちを抑えています)
共犯のお医者さんも当然、います。
その人の名前も、公開する予定でいます。
私の記憶では、S医師なのですが、カルテには、Y医師になっています。
私の記憶では、生検手術の助手が、Y医師で、本手術の助手が、S医師だったのです。
カルテ開示をした時は、理由がわかりませんでしたが、
去年2024年5月、私の悪性黒色腫の手術・・・背面の筋肉を剥ぐという手術は、治療にはない と教えてもらえました。
私が、通っていた中京病院では、私の記憶では、当時、皮膚科の医師は、臼田俊和氏、S医師と Y医師でした。
そのS医師は、とても臼田俊和氏に、反抗的で、時々、突っかかってる場面を目にしたコトもあります。
そして、いつの間にか、ライバルの病院に転院されました。
「なぜ、臼田先生の元で得た実績を捨ててまで、ライバル病院に行ったのだろう??」は、疑問でした。
でも、去年5月、治療にない手術 の共犯をやらされていた事実を知り、納得した次第です。
そして、その手術の助手の名前を臼田俊和氏が、入れ替えたのは・・・あくまでも、私の想像です。
もしも、私が、そのS医師を追いかけた場合、証言してしまうかも〜と、考えたからだ!と思っています。
だから、私は、その生検手術の時の助手のY医師を訪ねて、去年5月、その医師が開業している病院へ行きました。
幸い、私のことを覚えてくれていて、話をはじめたのですが。
私「生検手術をしてくれましたよね」
Y医師「いや してないよ。悪性黒色腫でしょ。僕は、してないよ!!」の一点張り。
そうなると、カルテが真実になってしまって、この手術の共犯の医師が、あなたになってしまうよ
と、言おうとしたのですが・・・
そのY医師ってば、まぁ 早口で、捲し立てるのです。
一切、私に喋らせない勢いでした![]()
だから、話を変えて、
私「S先生は、今・・・」
と質問を始めると、また、すごい勢いで
(S医師の消息を聞きたかったのです)
Y医師は、S医師の悪口を捲し立てたのです![]()
まったく、私には、喋らせない勢いでした。
やれやれ。。。
ハイハイ、わかりました。
あなたが、共犯ですね。共犯の医師ってコトになりました。
でも私、手術中に、Y医師が、生検手術中に話していた内容を、2つ覚えています。
手術用の手袋が小さい って話と、湾岸戦争に応援要請きたら、どうします?なんてね。
私、記憶力が、すこぶる良いのです。
これでも、ちゃんとお金を払わなきゃいけないのが、悔しい。
ちゃんと、診察料を払って帰ってきました。
話を戻します。
本手術の最中に、手術室に、突然、部外者が入ってきました。(前触れなかったようで、その瞬間、全ての人の手が止まったのを、背後でも感じました)
外科部長だったようです。
私は、うつ伏せの手術なので、お顔は見れていません。
外「見学させてもらってもいいですか?」
臼田「……………はい」
外「これを、どこに持っていくの?」
臼田「………ここ です」
まだ、手術といっても、切る前の、私の体に、図面を書いている時でした。
外「へぇ〜 さすが臼田先生!! すごい手術ですねぇ」
シーーーーーーーーン
イヤ〜〜〜〜〜な空気が流れているのを、うつ伏せながら感じました。
少しの時間だけで、外科部長は、出て行きました。
出て行った後、看護師さんの言葉で、外科部長だとわかりました。
腑に堕ちないシーンでした。
カンファレンスで、この私の手術を知っていたのでしょうね。
前例のない手術ってコトでしょうか。
当時の中京病院は、皮膚科・形成外科が、日本で一番でした。(熱傷センターを最初につくった病院です)
だから、皮膚科・形成外科の医師は、この病院の花形ってコト。
この手術を止めたい気持ちで、外科部長は前触れなく、手術室に入ってきたのかな??
今から思うと、止めて欲しかった。。。
止めてくれていたら…私は、今、ただ生きているコトを感謝できていたのに…。
そんな場面をよそに、私の手術は始まりました。
生検手術の時のY医師とは違って、S医師は、終始無言でした。
ただ、静かに、ディズニーのBGMが流れていました。
転がってきた、テープを握りしめていた私。
看護師さんが
「それ、握ってた方が、落ち着く?」と聞いてくれました。
それで、テープを握りしめてるコトに気づいた私。
私「あっ はい」と。
臼田俊和氏が、
「何を握ってるの?」と看護師さんに聞いてました。
背中の手術が終わると、知らされていなかった、口の下のホクロの切除術。
これも、右でした。
えぇ〜 聞いてないよォ
うつ伏せからひっくり返されて、の手術でした。
死にゆく患者には、何の説明も必要ないってコトだったのでしょうね。
これは、時代 なのでしょうか?
それとも、臼田俊和氏だけ??
時は流れ〜
2008年6月18日、整体に行っての大手術。
コレも、共犯者。。いえ、助手がいます。Y.I 医師。
今は、某病院の准教授やってます。
この手術(整体に行っての大手術)の直後、私は、私の背部の筋肉を取ってあるコトの会話を、臼田俊和氏と話ししています。
だから、改ざんは、この手術のあと だと思います。
私の体へのトドメの手術。
この手術のあと、カルテの改ざんは、実行されたのでしょう。
疑問は、この Y.I 医師。
何も知らないって、あり得るのでしょうか?
一体、どんな手術だったのか?
この医師も、自分の出世のために・・・だったのでしょうか?
今も、平穏に 准教授やってます。
そして、奥さんのクリニックの特別な診察日として、週一、担当しています。奥さんも皮膚科医です。
この共犯者准教授も、皮膚科悪性腫瘍指導専門医 です。
私の手術の頃、皮膚科臨床優秀論文賞 も受賞しています。
死ぬ予定の患者は、生きてちゃいけないの![]()
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が、私の現状です。
誰も助けてはくれません。
どこのお医者さんも。
このトドメの手術をしてくれた某病院の准教授も、
助けて欲しい の私の言葉に、首を横にふりました。
それが、去年5月22日のこと。
悪性黒色腫生存34年目 奴間(ぬま)泰惠です
悪性黒色腫…メラノーマともいいます。
いわゆる ほくろの癌 です。
当時の悪性黒色腫の手術は、例えば 足の裏にあった場合、足首の上から切断します。
私は、右の腰・ウエストラインにありました。
右の背中&腰の筋肉を剥いでの手術でした。
後に、そんな手術は治療にはないと知りました。
勿論、カルテは改ざんされてしまい、
医療・福祉では放り出されてしまったので
歩き続ける為に、独学での体の勉強を積み上げまとめています
世の中・・・『短い足族』理論で統一されているように伺えます。
『長い足族』理論も必要だと思い、まとめています。
短い足族理論:坐骨を落として腸骨筋が使えないコトを前提とした筋肉理論






でしたよ








