『三国志』 蜀書-諸葛亮伝①

から続き。


父の諸葛珪がなくなると、


後は兄の諸葛謹が継ぎ、


諸葛亮は弟の均を連れ


叔父の諸葛玄のもとに行く。




玄がなくなると、


亮は自分で田を耕し、


好んで粱父吟を歌った。




粱父吟は諸葛亮作


粱父の山に人が


葬られるのを歌った歌




身長は八尺(184cmくらい)


いつも自身を管仲、楽毅に


なぞらえた。


世間の人はそれを「大それた


ことをいう」と言った。


博陵の崔州平と頴川の徐庶


だけは「本当にそうだ」と言った。




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『RED CLIFF』Part2


まだいけん。




いろいろ忙しい。






『三国志』 蜀書


諸葛亮伝から。




諸葛亮 字は孔明


琅邪郡陽都県の人




漢の司隷校尉


諸葛豊の子孫




父は諸葛珪


字は君貢 泰山郡の丞




司隷校尉は京都近郡の


悪人の追捕が仕事


2000石の官職




泰山郡の丞 地方官




まず郡は太守がいて


その次官 600石



前漢官職表 参照




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諸葛亮と諸葛謹



<智者も千慮に一失あり


  愚者も千慮に一得あり>




韓信が燕・斉を討つ時に、


方法を李左車にきいた。




その時に意見を韓信に


申し上げるときに用いた


言葉。




智者


…韓信




愚者


…李左車






つまり頭のいい人が挙げる


千の考えにも一つは間違い


があり、頭の悪いものが


挙げる考えにも一つは、


すぐれるものがある。


これで互いを補う事が出来ると。

続き




第二首 Part2








世にあった時 父をよく


見分けえぬ身に




死んだあと 私が誰か


わかるまい




魂は師走の空を一人


さまよい




ゆらゆらと よるべさえ


ない




世間では後継ぎを探す


のが常だが




お前が死んで 私は只管


お前を思う




天を仰ぎうなだれて心は


痛み




思わず涙が衣を濡らす




人の命はそれぞれに


限りがあるが




あまりにも短かった日が


恨めしい






時の権力者の曹操に


屈するものかと己の


意気を貫こうと歌った


第一首とは違い、




2首は愛する子を失った


孔融の気持ちを歌って


いる。




悲痛さが伝わるね。


思いが。

続き






第二首 Part1








旅立つ友を遠くまで送り




年の暮れ ようやく家に


帰りついた




門から入って いとし児


を探したが




女どもは人の顔を見て


泣き伏した




子供にはもう会えぬという




命の火はもう消えて


しまった




「あの子の墓は西北


の方にございます。




御帰りを今か今かと


お待ちしておりました。」




裳(もすそ)をかかげて


墓地に登れば




見えるのは 雑草ばかり




白骨は黄泉の国へ帰り




肉体は塵とともに


飛び散った










続く。



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