「韓非子」


  有巣氏

   ↓

  燧人氏

   ↓


「補史記(三皇本紀)」


  庖犠氏

   ↓

  女媧氏

   ↓

  神農氏

   ↓


「史記」


  黄帝

   ↓

   堯

   ↓

   舜

   ↓

   禹《夏》へ



さて、いよいよ「史記」。


黄帝について。


あくまでもここらは

神話的




黄帝


姓は公孫 名は軒轅(けんえん)



赤ん坊のうちに

言葉を話した。



炎帝の治世も衰え始め、


諸侯は勝手に他国を侵略。


人民を苦しめていた。


軒轅は独断で侵略する

諸侯を討ち、各地の諸侯は

軒轅に従うようになった。


炎帝は国を奪われるのを恐れ、


諸侯のうち最も凶暴な蚩尤(しゆう)

の力を利用して諸侯を侵略し始めた。


これにより諸侯は軒轅についた。


炎帝と建袁は阪泉の野で戦った。


激戦で三度戦いやっと勝利。


軒轅はここで黄帝と称す。


炎帝が敗れた後も、

蚩尤は言う事を聞かず、


ついに黄帝と蚩尤は涿鹿の野で

戦った。


蚩尤は敗れ殺された。


ここではじめて黄帝は

即位式を行った。





この一連の流れを

中国史では『放伐』と。


徳のある為政者が

老い、新たな徳のある

人物に位を譲る『禅譲』。


徳の無くなったにも

関わらず居続けるものを

武力で撃つ『放伐


の二つがこの後出てくる。

続き。



漁父はにっこり打ち笑い


船端叩いて歌って去った


「滄浪の水が澄めば、


冠の紐が洗えよう。


滄浪の水が濁れば、


それで足を洗えばよい。」


と。


そのまま行って


もう語らなかった。





要は屈原は

周りが濁っていて

自分だけが国を

思っていたと。

それで逆に浮いて

自分は放逐された」と。


漁父はそれに対し、

「世の中が澄んだら、

冠の紐を洗って、

使えればよい。

世の中が濁れば、

足を洗って隠遁

すればよかったのに

なぜ追放された。」と。



例えば、殷代末期

微子〉という人がいた。

微子〉は殷の紂王が、

何を言っても聞き入れない

事を悟り、自身をどうするか

迷っていた。国を去るか、

死んで抗議するか。

かれは結局、国を去った。


又、〈箕子〉という人がいた。

国を去るのは忍びないので、

彼は自身を狂人と装い、

奴隷の身分に身を落とした。


さらに、

比干〉という人がいた。

彼は真っ向から紂王の

非を責めた。

彼は結局、殺された。


三者三様。


伯夷・叔斉は

微子〉の生き方。

周王の武によって

敵を討つやり方を嫌い

逃る。

暴を以て暴に易う


漁父はこの生き方を

するべきといった。



屈原は〈比干〉の

生き方を選んだと。

続き。





屈原は言った、


私は聞いている。


髪を洗ったばかりの者は、


必ず冠をはじいてかむり


湯浴みしたばかりの者は、


必ず着物を振って着ると。


どうして清らかな体をして


汚塵をこの身に受けられようか。


いっそ湘水の流れに身を投げて


魚の餌食になろうとも


どうしてこの潔白な身体に、


世俗の塵埃を受けられよう。






続きます。

続き。




漁父は言った


聖人は物事にこだわらず


世間につれて移るという


世の人が皆濁っていれば


なぜ自身もその泥を

掻き濁し


その波を揚げようとは

されませぬ


衆人が皆酔っていれば


なぜご自身もその糟を

食らい


その糟汁をすすられませぬ


なぜそのように深く考え

高尚に振る舞い


みすみす放逐を

招かれたのか






高尚…学問・技芸・言行などの

程度が高く上品なこと。

また、けだかくてりっぱなこと。






続く。

続き。


屈原は言った


世間はみな濁って

いるのに


私ばかりが澄んでいた


人々はみな酔って

いるのに


私ばかりが醒めていた


だからこそ放逐された

のだ




一旦。


「衆人みな酔いて
我独り醒む」

の話。