続き。
漁父はにっこり打ち笑い
船端叩いて歌って去った
「滄浪の水が澄めば、
冠の紐が洗えよう。
滄浪の水が濁れば、
それで足を洗えばよい。」
と。
そのまま行って
もう語らなかった。
要は屈原は
周りが濁っていて
自分だけが国を
思っていたと。
それで逆に浮いて
自分は放逐された」と。
漁父はそれに対し、
「世の中が澄んだら、
冠の紐を洗って、
使えればよい。
世の中が濁れば、
足を洗って隠遁
すればよかったのに
なぜ追放された。」と。
例えば、殷代末期
〈微子〉という人がいた。
〈微子〉は殷の紂王が、
何を言っても聞き入れない
事を悟り、自身をどうするか
迷っていた。国を去るか、
死んで抗議するか。
かれは結局、国を去った。
又、〈箕子〉という人がいた。
国を去るのは忍びないので、
彼は自身を狂人と装い、
奴隷の身分に身を落とした。
さらに、
〈比干〉という人がいた。
彼は真っ向から紂王の
非を責めた。
彼は結局、殺された。
三者三様。
伯夷・叔斉は
〈微子〉の生き方。
周王の武によって
敵を討つやり方を嫌い
逃る。
『暴を以て暴に易う 』
漁父はこの生き方を
するべきといった。
屈原は〈比干〉の
生き方を選んだと。