以前
書いたこのブログなんですが
下巻を見つけて、読みました
いやーー、なんとうか、こんなだったっけ。
ものすごく、わかりました。
曽野綾子先生、すごいわ。
人って、二つの軸を持っていて
精神的な軸と、肉体的な軸
それは反比例してるんですね。
人は、時間の流れに沿って、死に向かって突き進んでいくのだけど
そこに成長があるわけです。experience があるわけです
そして、成熟していく(そうでない人もいるけどね)
で、もう一つの軸は肉体の軸で、たぶん18歳くらいまでは
成長するんだけど、それからは衰えていくわけです。
この榎並藜子さん、下巻ではどんどん不幸になっていきます
本人は変わらない、だけど年を取るから!
20歳くらいから婚活初めて、
彼女は、25歳くらいになりました。
藜子は、昭和25くらいの生まれの人だと思います
私たちより、ちょっと上かな?って感じ
あの頃は25歳までに結婚するのが、常識だった
そして、結婚することそのものが、常識だった。
父を亡くして、お母さんと娘、すごくいい関係で
二人で働いて生活していたにも関わらず。お母さんの意識や態度も変わってきます。
嫁に行かない娘に対しての なんというか、不安、憐憫、いきどうり?みたいな。
そして世間もかわっていきます
なんで、この子が、お嫁に行かないのだろう?
そういう視線をビンビンに受けて、藜子だって平静で入れるわけない。
自分でも
なぜこんなにうまくいかないのだろう?なんて自分はひとりなんだろう?
もしかしたら、ずっと一人かもしれない…
という、恐怖
だけど、良い男なんて、いないんだよね~~
わかるわ~~
まぁ、私も年を取って思いますけど
運、ですね。いい人にあうかどうかなんて。
この小説、途中でいい言葉がいろいろ出てきて
納得したり、反省して利するし、まぁ
こんな私みたいに、40年も結婚生活に耐えるだけ耐えてたら
結婚したというだけで、全然よい人生なんて歩んでないのだけれども
それはだれのせいでもなく自業自得と言われたら
YESでもありNOでもあるかな。
運命ってものもありますしね~~
まぁ、私がシニカルな目でこの続きを書くとしたら
藜子はそのまま、母と暮らし
母や、嫁いだ姉は藜子が35歳くらいまでは
心配したり情けなく思ったりするのであるが
それを過ぎると、年を取って体調を崩しがちな母の面倒を見、
母は、藜子がいてくれて、良かったわ~と言い出し
嫁いだ姉も、妹がいてくれるので
母のことは、まかせてますの、とか、言い出す…
それが、今現代の高齢化社会なのであった…
結局、母であろうと姉であろうと、
基本的には自分の都合でしか物事を考えられないので、
むつかしいことだけど、そういう雑音にとらわれず、生きていくしかないのよね。
藜子の妥協のなさも、いいようでありわるいようでもある。
終わりようのない小説でした。
休日はヨガ!
動物病院で買うと高いけど…
これ、ほんとに届くの遅いです。
人気なんですね~